誹謗中傷より感謝を 私たちから変えていこう

一度発信した言葉は、二度と返ってくることはありません。自分の言葉に責任を持ち、相手がどのように感じるかを今一度考えることが必要です。そして誹謗中傷を目にしたときは、それに乗じるのではなく感謝の言葉に変えていきたいですね。

「ありがとう」であふれるSNSにしたい

最近、SNS上での誹謗中傷をよく目にします。コロナウイルスに立ち向かって休むことなく働く政治家や、私たちを笑顔にするために毎日のようにテレビに映る人々に対してです。

私たちを守ろうとする人々、元気を与えてくれる人々に誹謗中傷で返すことを、私は許せません。感謝で返すべきだと思います。少し前、ある俳優の方がSNS上で「政治に対して納得できないことはあるかもしれないけれど、一度お疲れさま、と言おう」と呼びかけました。それによって多くの人々が、「ありがとう」とコメントしました。

SNSが身近にある今、改めて相手の気持ちを考えながらSNSを利用するべきだと思います。誹謗中傷は、誰も幸せにしません。SNS上が感謝であふれてほしいと願います。(ざわ=2年)

誹謗中傷より感謝を(写真はイメージ)

言葉の重みや責任を再認識するべき

先日の木村花さんが亡くなったニュースは、本当に心が痛むとともに、言葉の重みを再確認させられるニュースでした。SNSでの誹謗中傷は、集団いじめだと思います。軽はずみだったかもしれない、こんな大ごとになるなんて思ってもみなかった、そんな言葉の一つひとつが誰かを傷つけています。

言葉は、誰かを勇気づけるエールにもなりますが、時に心に深く突き刺さる凶器にも変貌します。私たちは、22歳という若さで亡くなった木村さんの死を無駄にしてはいけません。今一度、自分の言動を見直し、言葉の重みや責任を再確認するべきだと思います。そして、二度とこのような悲惨な出来事が起こらないでほしいと思います。(あい=3年)

誹謗中傷が続くか否かは私たち次第

辞書によれば、「誹謗」は他人を悪く言うこと、そしることです。「中傷」は根拠のないことを言いふらして、他人の名誉を傷付けることです。これらの言葉はつい最近にできた訳ではないので、先代から実に多くの人々が政府、芸術、学問、その他もろもろに対して「誹謗中傷」してきたものと見られます。現代はSNSの台頭によって、とうとう老若男女、さらには国籍や人種、宗教さえも関係なく平等に誹謗中傷ができるようになりました。

もし今この記事を読んだ方が誹謗中傷の持続を望めば、この伝統は数十年、数百年後も続くでしょう。今この瞬間をきっかけにやめるならば、数十年、数百年後も人々は誹謗中傷をしないでしょう。人を悪く言うとはそういうことではないかと私は思います。(るんるん=1年)

ボタン一つで人生が変わってしまうことを踏まえて

バイト先でのいたずら動画をネット上に投稿したことで身元が特定され、解雇された例があります。これと同様に誹謗中傷の書き込みも、同じ重さの責任が自分に返ってくる可能性があります。だから、ボタン一つで人生が変わってしまうということを踏まえてSNSを使いたいものです。投稿者は倫理観と世間の目を気にして投稿内容を判断する必要があります。

SNS上で、現実世界では本人に言えない陰口を言う人は多いでしょう。SNS上にもそのような場所はあっても良いのではと私は思います。ですが、その際には十分な配慮、つまり不特定多数が目につかないように「鍵垢」にして、本人にリプを送らない、暴言や事実無根のことは投稿しないなどの使い方に注意が必要だと思います。(みぽん=3年)