学校はクラス単位で授業を受けたり、生活を送ったりするのが当たり前だ。しかし、「クラス制度」は今の時代にあっているのだろうか? 高校生新聞オンラインでは、学校のクラス制度の是非を問う、高校生の声を紹介した。クラスは必要か、不要か。読者から届いた意見の一部を紹介する。
学校の「クラス」は必要か
ぶじさん(高校2年)は、LHRの時間に、「クラスは必要か」をテーマにして討論した。クラスは合わない人ともコミュニケーションを取らなければならない。コミュニケーション力が養われるのはよいが、反対に、コミュニケーションを取るのが苦手な人は個性がつぶされるかもしれない……ぶじさんは答えが定まらなかった。
ぶじさん自身は、小学校高学年から、クラスでは「友達がいないと居心地が悪い」という空気を感じている。友達を作る理由に、「一緒にいるのが楽しいから」以外に、「『友達がいる人』という肩書を得たい」という理由があり、疑問を感じている。
【クラスは必要】社会に出る練習になる
寄せられた意見の一つが、「社会に出る練習になるから、クラスは必要だ」という意見だ。「社会に出たら、『一人でいるのが好きだから』といって周りと関わらないのは無理だと思う」(あおいちご・高校3年)、「クラスは集団の中で自分がどのような位置にいるかを考え、これから先どのように振る舞っていくのが『自分らしい』かを考える場所だ」(藤咲花佳・高校3年)。
さらにこの記事をYahoo!ニュースに配信したところ、「学校は『人間関係』も勉強する場所。クラスをなくして、いつでも同じメンバーとだけでぬるま湯に漬かった状態の人間関係しか築けない人間が、社会に出てきてどうなるのか」と心配するコメントも届いた。

【クラスは不要】令和の時代には合わない?
反対に、「クラスは不要」という意見も届いている。例えば、クラスのない通信制高校に通う高校生からは「私の友達のほとんどが一個下ですが、とても話が合う。最初から学年やクラスで区切られると、本当の友達と出会う可能性が奪われている気がする」(ティアラ・高校3年)と、クラスとして区切るデメリットを指摘する。
「以前、クラス替えで友人ができず苦労した。クラスが離れてしまった友人とは疎遠になってしまい、クラスが一緒かどうかで親密度が変わってきてしまうのはもったいない」(からめる・高校3年)と、友人と疎遠になってしまうもどかしさを感じる声もあった。
Yahoo!ニュースのコメントからは、「クラス制度は平等や集団での規律を重視する昭和の教育では必要だったかもしれないが、個性を尊重する令和の時代には合わない」と、時代にそぐわない形だという指摘もあった。
「肩書のための友達作り」になってないか
「肩書のための友達作りになってしまっている」というぶじさんの考えに、共感の声があった。Yahoo!ニュースのコメントでは「『友達がいない』と思われることが嫌で、クラス替えのたびに、その年の『連れ』を探してた。今も集団行動のときには誰か話しやすそうな人をとにかく探して話しかける」と、一人にならないようにふるまったと振り返る人がいた。

「同調圧力」に負けている?
一方で、友達作りに対する批判的な意見もある。Yahoo!ニュースのコメントでは、「怖いなぁ、肩書のための友達。 友達と思ってたら相手は友達と思ってないわけでしょ?」「クラスという制度が問題なのではなく、『友達を作らないと』という、同調圧力に流されている自分の弱さが悪いだけではないのでしょうか?」
「肩書のための友達」になってしまうのは、クラス制度のせいではない。一人でいてはいけないという「同調圧力」に負けているという手厳しい指摘だ。
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