私は中高一貫校に通っていたものの、高校1年時に不登校になり、通信制高校へ転校しました。挫折を経験し、人生が終わったとすら思っていましたが、そうではありませんでした。どうか、自分のために環境を変えることを恐れないでください。(高校生記者・はすがい=3年)

自分の苦しみ無視し続け不登校に

私は高校1年の秋に不登校になりました。原因は今でもはっきりしません。学業と部活を頑張ることが大事で、一生懸命になるのが良いことだと考えて生きていました。

ささやかな幸せはすぐそこにある

不登校になる少し前から、鬱々(うつうつ)とした心を引きずって学校生活を送っていたように思います。もともと肌トラブルや胃腸の弱さに悩んでいて、「友達は多忙な学校生活を楽しんでいるのに、私は同じように楽しめない」と劣等感を抱いていました。「しんどいのはみんな同じはず」と考えていましたが、自分の中の苦しさを無視し続けていました。

「頑張れない自分に価値はない」

今までずっと「頑張る自分に価値がある」と考えていました。裏を返せば、「頑張れない自分に価値はない」とすら思っていました。「頑張れなかったらおしまいだ」と思い込んでいた節もあります。

そんな中、不登校になりました。ベッドから起き上がれず、文字すら読めなくなり、絶望的な気分になったのをよく覚えています。

もう勉強の遅れを取り戻せるような状態ではありませんでした。「以前のようには学校生活を送れない」と感じましたし、進級のプレッシャーを背負いながら通う自信もなかったです。高1の1月中旬には転校しようと決め、高2に上がるタイミングで通信制高校に転校しました。

「小さなモヤモヤ」無視しないで

読者の中に、不登校は甘えだと考える人もいるかもしれません。私も昔は「甘え」だと考えていましたが、いざ当事者になると、「不登校は甘えられなかった人がなるものだ」と感じました。

集団生活のストレスや小さな不調を抑え込み続け、動けなくなる人もいるでしょう。病気や不調に関わらず、自分ではどうにもならない苦しみというのはあります。その苦しみは経験した人にしか分かりません。

私が伝えたいのは、そういった小さなモヤモヤや不調を無視しないでほしいということです。学校などの集団生活では、人に合わせるよう求められます。それは社会で生きるためにとても大切な力です。ですが、社会以上に自分から逃げられません。

「自分は自分」と納得できた

私の通っている通信制高校には、本当にいろいろな人がいます。みんな何かしらの事情を抱えていて、それぞれの事情を受け入れるのが当たり前の場です。私は通信制高校に転校して、「自分は自分でいいんだ」と納得できました。

不登校や不調で苦しんでいる方は、先生や親からさまざまなアドバイスを受けるかもしれません。ですが、それらの声よりも自分の声を聞いてほしいです。自分の苦しみは自分にしか分かりません。それを無視するのではなく、受け入れることが自分を大切にする第一歩です。

はすがい 奈良県在住。美術部所属。読書と音楽が好き。「人生死ぬまで勉強」がモットー。将来は言語の垣根を越えて人と関わりたい。