大橋涼太さん(三重・桑名高校3年)には、重度知的障害を抱えた2歳上の姉がいる。病気や障がい抱える兄弟・姉妹を持つ「きょうだい児」として生きる中、「姉を見せるのは恥ずかしい」と思い悩んだこともあるという。きょうだい児の抱える葛藤や生きづらさ、社会に求めることとは。(文・写真 椎木里咲)
重度知的障害者の姉、存在をごまかす私
「お兄ちゃんとか、お姉ちゃんいるの?」
大橋さんは聞かれるたびにどきっとして、必死にごまかしてきた。重度知的障害を抱える姉のことを話すのに、ためらいがあるからだ。
姉の知能は2歳児程度。食事や入浴をはじめ日常生活全般に介助を必要とする。言葉を発したり簡単なジェスチャーをしたりはできるが、会話はできない。「姉だけど赤ちゃんみたいです」
LINEに送られた姉の写真「友人に見られたくない…」
友人と遊んでいた時のことだ。母に帰る時間を連絡しようとLINEのトーク画面を開くと、誕生日に撮った姉の写真が表示された。友人に画面を見られそうになり、とっさにスタンプを2、3送って姉の写真を隠した。「姉を見せるのは恥ずかしい」という気持ちがあったのだ。
電車に乗り合わせた高校生グループが、ふざけて「お前障がい者だろ」と笑い合う場面に遭遇したことがある。「障がい者」という言葉が他人をバカにする意味で使われていたことに、怒りよりも驚きが勝った。同時に「姉のことを話したら白い目で見られるかもしれない」と不安に苛(さいな)まれた。
「きょうだい児が生きやすい社会」を望み弁論の全国大会へ
障がいや病気を持つ兄弟・姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。当事者の大橋さんは「きょうだい児の多くは、きょうだいのことを恥ずかしく思うことがあるのでは」と振り返る。
進路選択で福祉の道を勧められる、結婚を反対される……。きょうだい児であることを理由に、進路や人生の選択が制限される人がいる状況に疑問を感じている。「きょうだい児は、自分らしく生きることはできないのか?」
「今まで先生や友達、他の人に姉のことを話してこなかった」という大橋さんだが、「世間がきょうだい児の思いを知っているか知らないかでは状況が違う」と考え、8月に行われた全国高校総合文化祭(清流の国ぎふ総文2024)の弁論部門に出場。抱えてきた葛藤や社会へ求めることを涙ぐみながら語り、優秀賞を受賞した。
障がい者に対する理解が進み、きょうだい児がもっと自分らしく生きられる社会になってほしい。「福祉の道以外でも、障がい者を支えられる仕事はある。政治家になって障がい者を支える政策を考える道もあるかもしれない。自分の得意なことを見つけて、いろいろな方面から障がい者を支えられる人間になりたいです」