私は中学時代に不登校を経験しました。自分でも原因が分からず、行けないことへの罪悪感と劣等感が募る、そんな日々を経験して感じたのは「学校に通うことが人生の全てではない」ということです。(高校生記者・はなね=3年)

学校に行けない理由が分からない

私は中学2年生の秋から冬と、中学3年生の6月以降に不登校でした。「みんなは頑張って毎日学校に通っているのに、どうして私は何もできないんだろう」と、罪悪感と劣等感が募っていました。

親や先生から「いつになったら学校に行くの?」「なにか理由はあるの?」と聞かれても、自分のことなのに分かりません。「みんなと同じように学校に行けるなら、こんなに苦しい気持ちになってないよ!」「サボりではなくて、ただ、行けないの」と伝えても理解してもらえず、理由を説明できないことがどうしようもなく苦しかったです。

自分を変えたい、自分の気持ちを知りたいと、日記をつけて感情と行動のパターンを分析したり、不登校克服の記事を読んで参考にできることをやってみたりしました。しかし、「毎日学校に行く」という目標をかなえられないまま、中学校を卒業しました。

自己分析や日記に使ったノートはずっと残している

自分と向き合う経験だった

中学校では、教室に入る際のサポート、別室でのテストなど、「行動」の手助けはしてくれました。しかし、心のケアはなかったと感じます。してくれていたのかもしれませんが、的確な形で私に届きませんでした。一人の生徒にかけられる労力は限られていたのだと思います。

苦しんだ時期をきれいにまとめるには重すぎますが、「自分と向き合う」ことを経験できたと考えると、少し心が大人になった気がします。「今の私」は過去の経験からできているのだと言えるまでに強くなったとも思います。

不登校は「逃げ」ではない

現在は通信制高校に通い学校外で複数の活動をして、さまざまな過去をもつ方と関わる中で思うのは、「学校に通うことだけが人生の全てではない」ということ。世の中には学校では学べないこと、学校という狭い社会では得られないものも多くあります。通信制高校やフリースクールなど、心の余裕もできる環境を見つけることはとても大切だと思います。

不登校、全日制以外の学校に通うことは逃げではなく、進路変更の一つでしかありません。どうか、不登校であることや周りの人と違うことを、「自分は普通ではない」と後ろ向きに捉えないでください。他の人と違っても、普通からそれた道を歩んでいるとしても、人には人の生き方があります。世間の「普通」に無理に当てはまろうとしなくても、ゆっくり前に進んでいけば、きっと自分らしい生き方ができるはずです。