【中学生の部 最優秀賞・JICA理事長賞】土井咲子(東大和市立第二中学校3年)「平和について考える場所『空襲変電所』」

私の住む町には「戦争」を教えてくれる一つの建物がある。旧日立航空機株式会社変電所だ。地域 の人々が集う和やかな公園にある変電所は太平洋戦争末期に米軍の空襲で壊滅的な被害を受け、正面 には数えきれないほどの銃弾の跡が痛々しく残っている。

私が変電所に初めて訪れたのは小学一年生の夏休みに行われた「平和の集い」だった。合唱団とし て平和への思いを届けるために歌を歌った。当時はなぜ変電所で歌を歌うのかもよく分からず、親に 連れられてただ何となく参加していただけだった。しかし、中学生になってロシアとウクライナの戦 争が連日のように報道され、日本でも憲法九条の改正について議論が進んでいることを授業で学ぶ中 で、世界の持続可能性と私たちの日常が根幹から揺るがされていることに焦りと不安を感じた。国際 関係の緊張が高まってきている今だからこそ、77 年前に私が住んでいる町で何があったのか、平和を 守るためのヒントはないか、自分事として考えるために私は変電所を訪れた。

変電所で私は一冊の日記に出会った。日記は「昭和二〇年一月一日午前零時空襲警報のサイレンが 除夜の鐘であった。」という一文から始まり、そこには空襲によって変わり果てた町の情景や同僚の 死に落胆する様子など、私には想像もできない胸が締め付けられる言葉が並んでいた。戦争は突然や ってくる。場所も時間も選ばない。たとえそれが正月であったとしてもだ。数字や年号だけでは語れ ない、戦争が人々に与えた本当の怖さや日常が簡単に崩れていくことのやりきれなさを私はその時、 少しだけ理解したような気がした。日記を書いた方は、私の町に建てられていた軍需工場で働いてい た人だった。どの言葉を拾ってみても、見慣れた故郷の光景を想像することができた。「もし私がこ の時代にいたら?」と日記に書かれた状況と自分を重ね合わせると、怒りと切なさでいっぱいになっ た。

変電所はたった一人、傷を背負ったまま残っている。私には直接戦争を体験することはできない。 だけど想像すること、行動することはできる。77 年前のあの日、この場所で平和を願った人たちの想 いを、この町で生まれ育った人間として引き継いでいきたいと思っている。そして私なりの平和に対 する答えを未来に発信していきたいと思っている。

中学校の卒業前に仲間と共に、平和をテーマにプロジェクションマッピングを使って、変電所に自 分たちの想いを投影し、地域の人たちに伝える機会ができた。仲間たちの発表がたくさんの人に伝わ って、それがいつか大きな輪になるように、私も自分なりの平和を表現できるようにしたいと思って いる。世界から見たらすごく小さな活動だけれど、それでも平和を考える一人として自分のできる精一杯の小さな活動を全力で続けていきたい。