二瓶さんの弁論原稿

私、ヤングケアラーだったんだ

豊見城高校 3年 二瓶花菜

「私、ヤングケアラーだったんだ。」そう気づいた時には、父の介護を始めて、2年以上経っていました。

ヤングケアラーとは、通学や仕事の傍ら、病気や障害のある家族の介護や身の回りの世話、また、幼い兄弟の世話をしている18歳未満の子供のことです。本来大人が担うようなケア責任を引き受けています。国が行った実態調査によって、クラスに一人から二人のヤングケアラーがいること、そして、勉強時間や睡眠が十分にとれない、進路を変更した、学校に行きたくてもいけない生徒がいるということが明らかになったのです。

私も、難病を持った父の介護を約2年半していました。特に生活がガラッと変わったのは高校受験の一週間前でした。痙攣をおこし病院に搬送されたのです。これからどうなってしまうのだろうかと精神的に不安定になりました。高校一年生の春、コロナウィルス感染対策のため休校になり、私が自宅学習をしている中、父は退院しました。仕事をしている母は休暇が取れず、日中は私だけの自宅介護が始まりました。それは想像以上に辛いものでした。食事の工夫や身の回りの世話に始まり、お手洗いの介助などもしていました。休校が明けた後も、夜中に痛みで起きた時の世話や、救急搬送の付き添いは深夜に及び、学校を欠席することもありました。

父は元々厳しい性格だったため、不機嫌になることや、辛さやストレスからか、私や母に「毒をもって殺せ」と言ったこともありました。私自身も疲れなどから父に心無い言葉をかけてしまい、今でも後悔しています。こうした生活が続き、次第に私も母も余裕がなくなっていきました。

そんな中、救いになったのが介護サービスでした。介護保険の要介護3に認定され、様々なサービスを利用できるようになりました。父のケアだけでなく、自宅介護を楽にする方法を身につけることができました。支援を受けたおかげで、負担が減り、ゆとりが生まれ、父に優しく接することができるようになりました。父は昨年の2月に亡くなりましたが、以前のように嫌悪感を抱くことなくしっかり最期まで見送ることが出来ました。

最近ではヤングケアラーがメディアにも取り上げられていますが、まだまだ支援が広まっていないのが現状です。当事者がそのことに気づかないケースも多く、私もずっと家族の介護は当たり前だと思っていたため、調べることもなく気づきませんでした。落ち着いたときに、将来自分のように学生でありながら介護をする人の支援をしたいと思い、調べた時に初めてその言葉を知りました。インターネットに載る体験談を読み、「私、ヤングケアラーだったんだ。」と気づいたのです。

また、家族の問題であり相談しにくいという面もあります。私自身、思い切って先生に相談した際、お父さんはあなたことを愛していると思うから嫌がらないで頑張って、と言われたことがあります。私のために考えて言ってくれた言葉だったと、今ならわかります。しかし、その時はその言葉によって罪悪感のようなもやもやした気持ちが生まれ、傷つき、それ以来介護のことを先生に相談するのをやめました。誰にも相談できない、誰もわかってくれないと思っている子どもは少なくないと思います。日本が分かってくれる社会に、まだ、なっていないからです。ヤングケアラーについてもっと知り、家族間の問題ではなく社会全体の問題だと気付かなければならないのです。

少子高齢化や晩婚化が進むにつれヤングケアラーはますます増えていくと考えられます。ケアの範囲は多種多様なため、現在ある公的サービスから外れることもあります。そのため新たな専門的な支援の構築が必要だと思います。先入観や固定観念に囚われず、これから来る未来に臨機応変に対応していかなければならないのです。

もちろん家族は大切な存在です。しかし、自分も大切な存在なのです。今後、「自分はヤングケアラーだ」といえる環境を作り、ケアする家族を持ってしまったことでやりたいことができなくなるのではなく、無理なく両立でき、いい経験をしたと思える社会になってほしいです。実際、私も父の介護を通して社会の制度を学び、相手の立場に立って物事を考え、行動できるようになりました。

今、私はヤングケアラーの役に立ちたいと思っています。助けようと思っても陰に隠れて見えにくいのがヤングケアラーの特徴です。そんな誰かをほんの少しでも救えるように、自分の経験を辛い経験として終わらせるのではなく、誰かを助ける力に変えて、自分のできることから頑張ろうと思います。