家族の介護を日常的に行う、ヤングケアラーの子どもたち。勉強への支障、睡眠時間が取れないなど生活に支障が起き、社会的な支援が求められている。二瓶花菜さん(沖縄・豊見城高校3年)は難病を抱えた父の介護を2年半経験した。(文・野口涼、写真・学校提供)

父が難病を発症、自宅で介護が必要に

「毒を盛って殺せ」

父から投げかけられた言葉。病気のつらさやストレスのせいとはわかっていても、必死に介護する二瓶さんの心は追い詰められていった。

父の病気が分かったのは、二瓶さんが中学1年生のとき。体調は徐々に悪化し、やがて仕事をやめて自宅療養に入った。最初は外出時に車いすを押す程度だった二瓶さんの負担は、少しずつ重くなっていった。

2022年8月に東京で開かれた全国高校総合文化祭の弁論部門でヤングケアラーとしての経験を訴える二瓶さん(沖縄タイムス社提供)

高校受験の1週間前、けいれんを起こした父が救急車で搬送された。本格的な介護が始まったのはその2カ月後だ。「退院して自宅に戻ってきた父は、伝い歩きがやっとの状態になっていました」

睡眠不足でイライラ、亡くなった今も後悔

看護婦をしている母には昼間は仕事がある。高校に入学し、新型コロナウイルスによる休校で自宅学習をしていた二瓶さんが昼間の介護を担うように。

「食事の支度や身の回りの世話、お手洗いの介助もしました。登校するようになってからも夜中に『水をくれ』と起こされたり、急変で搬送される父に付き添って救急車に乗ったり。睡眠不足で体調が管理できず、学校を休んでしまったこともあります」

「水くらい自分でくめば」とつい思ってしまうこともあった。

「イライラして感情的になり、『ごめんね』と言う父を無視して部屋にこもってしまったときです。あのときの父の悲しそうな表情を思い出すと、今でも泣きたくなります」

体調管理ができず、学校を休んでしまったことも(写真はイメージ)

「私性格悪い?」介護に追い詰められ苦しくて

当時の二瓶さんは、介護する自身を他人にほめられるのが苦手だった。「『頑張っているね』と言われると、嫌々やっているのにという罪悪感でいっぱいになりました」

二瓶さんの様子がおかしいことに気づいた先生に、事情を聞かれたときも同じ。「先生の励ましを素直に受けとることのできない私は、性格が悪いのではないかと傷つきました」

介護を褒められることに罪悪感

一方で親しい友人には愚痴をこぼすことができ、匿名のSNSに「疲れた」など言い捨てに近い投稿をして発散することも。「共感や同情に救われる人もいると思う。家族の介護をしている友だちにどんな声をかけてあげたらいいのか、経験者の私にも答えは見つかりません」

ヤングケアラーの子どもたちを支えたい

家族にとって大きな助けになったのが介護サービスだ。「要介護3」に認定された父はショートステイなどのサービスを受けられるようになり、家族の負担も軽くなった。

「将来は自分のように家族を介護しなければならない状況に置かれた子どもたちを支援したい」と考えるようになったのはその頃だ。パソコンで「親の介護をする子ども」と検索し、「ヤングケアラー」という言葉に出合い、自分も「そう」だと知った。

今年夏に開催された文化部の全国大会「全国高校総合文化祭(とうきょう総文2022)」の弁論部門に出場し、ヤングケアラーの実態を話した。「まずは家族の介護をしている子どもたちに『自分はヤングケアラーだ』と気がついてほしい。そのことが必要な支援を受けること、社会を変えることにつながると考えています。

父は昨年2月に亡くなった。介護サービスのおかげで、心のゆとりを取り戻し、しっかり見送ることができたそうだ。「私自身は母と同じ看護師になることで、将来はヤングケアラーを医療の現場から支えていきたいと思っています」