髙田さんの弁論原稿

行動を起こすということ

玉川聖学院高等部 3年 髙田礼菜

人生における大きな曲がり角というのを、人は誰しも経験すると思います。私も数年前、生まれつきの脳性麻痺の影響で、大きな挫折を経験しました。しかしそれは悪いことばかりではありませんでした。その先に私は、よりよい社会にするための道標を見つけることができたからです。

私が自分の障がいを意識し始めたのは、2016年の夏、相模原にある施設で殺傷事件が起きた頃からです。毎日テレビに映る、山奥の建物。緊迫した報道。「障がい者に生きている意味は無い」「何の役にも立たない」メディアから聞こえてくる言葉に、私は心底落ち込みました。同じ人間と思って生きてきた私たちのことを、そのように言う人がいる。そしてなによりこの私も、ただ生きているだけで差別の対象になるかもしれない。その事実に、私は大きな悲しみと、葛藤を抱きました。そしてそんな自分が、これからなにをすべきか。どう生きていけば、今ある命を最大に活かせるのか。片時も忘れずそのことを考え、気づけば6年の歳月が経っていました。

そして私はあることに気づきました。それは行動を起こす大切さです。もう私は、社会に期待をしているだけではいけない。私自身が一歩を踏み出して自分の足で歩いていかなければ、また同じことが繰り返され、次の世代にも同じ思いをさせる。皆が生きやすい世を作るには、社会の考えを変えるには、私自身が形ある何かで示す必要がある。そう強く決心し、私は自分にしか起こせない行動について考え始めました。

今私たちが目指しているのは、一人ひとりの多様性を尊重し、皆が生きやすくなる社会です。しかしそれを目指す上で、個人の経済力の差や、生活の仕方が障壁になってはならない。皆が生きやすい世の中にするには、細部まで気を配り、どんな人にも等しく、そして平等に、必要な言葉やものが必要なだけ届く環境を作らなければならない。私たちのようなハンデを持つ少数派も揃って生きやすいと感じることができれば、理想の社会を作れたと胸を張れますが、なかなかそのようには運ばないのが現状です。しかしこの現実から目をそらすことなく、私は敢えて直視し、どのようなシステムを作ればこの現実を少しでも変えられるのか、そのように考え、形にするため人生を懸けて模索する道を選びました。

そうした考えを持ち始めたある日、私は当時通っていたリハビリ施設にあった車椅子と、手元にあった花柄のカットクロスから、頭の中に一つのアイデアが浮かびました。私たちが知っている車椅子にはどのようなデザインのものが多いでしょうか。多くの方が、シンプルなものを想像されると思います。でももしそれが、花柄や上質な本革で作られた他とは少し違うデザイン性のある物だったら。そしてそれが、手頃な値段でレンタルできるサービスがあったら。もっと豊かで楽しい毎日を世の中に提供することができる。私はワクワクしました。誰もが羨み、欲しいと思えるようなデザイン性のある車椅子を普及したいという願いが生まれたのです。もし本当にこれが実現したら、きっともっと生きやすい社会に近づけることができると思うのです。それから私はバスの中や習い事の帰り、あらゆる所に注目して、世間に車椅子は今どのように扱われているのかを観察するようになりました。しかしまだまだ車椅子とは、場所を取るだけの厄介な存在のようです。

行動を起こすということは決して簡単ではありません。何気なく毎日を生きていたら気づかないようなことに、気づこうとすることも、社会の常識を覆すことも、簡単ではないのです。しかし一つこれだけははっきりと言えます。紛れもなく、私たちが未来を作っていく世代です。私たちの行いや願いが、これから先の社会には今よりもっと反映されていく。私はそれを形にしていく一人でありたいと願います。そして発信を続けたいと思います。ですから皆さんもどうか、これからのために行動する人であって下さい。これが私の願いであり、よりよい社会にするための道標だと私は思います。