関口さんの弁論原稿

命を守りたい

八戸北高校 3年 関口実佳

私には57歳になる叔父のまことがいます。愛称はまっこ。母の兄で、先天性の脳性小児麻痺をもって生まれました。動くこと、会話や食事、排泄も一人ではできません。「まっこー。ご飯だよー。椅子に座ろうね」。私たちはまるで赤ちゃんをあやすように話しかけ、明るく叔父の介護をしています。しかしそれは決して容易なことではありませんでした。

四年前、叔父は約30年間暮らしていた施設を退所し、私たち家族と一緒に生活することになりました。きっかけは、叔父がご飯を食べなくなったことでした。施設からは体に穴を開けて胃に管を通す胃瘻を勧められました。しかし「口からご飯を食べさせてあげたい。体に傷をつけず生きていてほしい」という家族全員の気持ちが一致し、退所をするまでに時間はかかりませんでした。その後は、浣腸を使っての排便、おむつ交換、着替え、散髪。これらは母の時間が空いた夜中の1時が通常です。そして、咀嚼ができないため、全ての食事はミキサーを使ってどろどろに仕上げます。叔父との生活が始まってたった数日間で、介護とはどういうものなのか、介護の実態を初めて知ったのです。「一人じゃ絶対できないことだ」。一つひとつのお世話を通して私は痛感させられました。

そして、このことをきっかけにある言葉に出会いました。それは、今ようやく社会の目が向けられ関心が高まってきている言葉「ヤングケアラー」です。ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定される責任を引き受け、家事や家族の世話などを日常的に行っている18歳未満の子どものことです。その定義によれば、私の母は元ヤングケアラーです。母が小学生の時、父親は仕事に追われ母親は病弱で、お兄さんの介護を担う母はまさしくヤングケアラーでした。「一人では絶対にできない」と思った叔父の介護を母は一人でしていたのです。最近になって母が「私が子どもの時にもヤングケアラーって言葉があったらなあ。ヤングケアラーの概念があったら『兄の介護をしてる』って堂々と相談できたと思う。誰かが支援をしてくれたかもしれないし、放課後や休みの日は友達と遊んだりして自分のための時間もあったかなあ。」と真剣な表情で心の内を明かしました。

家族の介護は当たり前。現在のヤングケアラーの問題でもある、誰かに頼るという思考すら母の脳裏にはなかったのでしょう。私は母のつらい経験を聞き、自分の無力さと、母の青春を取り戻せないことに胸が締め付けられる思いでした。母がまた一人で抱え込まないよう、私は叔父の介護と家事の手伝いをしながら、母の表情をよく見て生活をするようになりました。

厚生労働省、文部科学省の実態調査によると、高校生の24人に一人が、中学生の17人に一人が、ヤングケアラーであるとされています。

あなたのすぐそばに家族の世話で自由な時間のない生活を送っているヤングケアラーはいませんか。ヤングケアラーという存在をより多くの人が知ることで、彼らはカミングアウトしやすくなり、一方でヤングケアラーの心のケアや支援をしやすい社会環境が整います。もちろん知るだけでは解決はしません。しかし、それはヤングケアラーが生きやすくなる未来への一歩となるのではないでしょうか。

今必要なことは、ヤングケアラーの心と体と時間を守ることです。「苦しい、助けて」という彼らの声を見逃さず、彼らの未来を守ることなのです。

まっことの暮らしから見えてきたものは、人はどのような環境に置かれ、どのような身体状態であっても「命は平等に与えられている」ということ。そして障がいを持つ人もヤングケアラーも「命は守られるべきもの」だということです。まっこは一人では何もできませんが「今」を生きています。皮肉にもヤングケアラーだと気づかずにひたすら世話をし続けた母の愛情の賜物です。

まっこは今日も私と母がミキサーで作った食事をおいしそうに食べています。