重度の障がいを持つ叔父を自宅に迎え入れ、家族全員で介護にあたった関口実佳さん(青森·八戸北高校3年)。介護の大変さを肌で感じながら、自身の母親がかつて「ヤングケアラー」だったと知る。ヤングケアラーの問題を深く考える機会となった、叔父との日常を語ってもらった。(文·中田宗孝、写真·学校提供)

家族みんなで叔父を介護

関口さんは、中学在学中からの4年間、家族とともに母親の兄である叔父の自宅介護してきた。50代の叔父「まっこ」さんは、先天性の脳性小児麻痺を持つ。思うように体を動かせず、会話はできない。食事や排泄のサポートを必要とする。

家族4人、つきっきりで叔父の介護をした

「当時母が『(介護は)家族みんなの協力が必要』と言っていたのがとても印象に残っています。私は重度の障がい者の介護がどんなものかまったく想像できませんでした。まっこのお世話を始めて、その大変さを、身をもって実感しました」

日中は母が中心となって仕事などの合間に介護し、ヘルパーやデイサービスを利用。毎日深夜に、家族全員で着替えやおむつ交換などを手分けして行った。深夜帯なのは、自営業の両親の終業が夜遅いためだ。

叔父用の食事。ミキサーを使って飲み込みやすく調理する

深夜に、翌日3食ぶんの食事をミキサーでドロドロに仕上げて作り置きをした。「まっこは、口は動かせるけど咀嚼ができません。なので、食べ物を飲み込めるようにスプーンを喉の奥まで入れます。1回の食事のサポートで30分くらいかかりました」

弱音を吐かない母を助けたい

母親が小学生のころ、忙しい両親に代わり兄(叔父)を一人で介護していた過去を知り、関口さんは胸につまった。「母は元ヤングケアラーだったんです。でも母は(今も昔も)弱音を吐きませんでした。きょうだいだから助けたい。家族として当たり前に、まっこの介護をしているんです」

関口さんと母親

献身的に叔父の介護をする母親の姿に、関口さん自身も行動を変えた。「母のことをよく見て、仕事量が多いなと察したら、私が家事をします。母が毎日していた家族の食器洗いを私がやるようになりました」

介護をする際の心の持ちようも次第に変わっていったという。「深夜の介護が辛くて『やりたくない』と母に言った時期もあったんです。そしたら母は一人でやろうとした。それからは、介護に関してマイナスなことは言わないように意識を変えました」

「ヤングケアラーの存在知ってほしい」弁論の全国大会へ

8月に弁論の全国大会、全国高校総合文化祭弁論部門に出場した関口さんは、叔父の介護を通して感じたことを聴衆の前で語りかけた。「今の私にできるのは、ヤングケアラーの存在を知ってもらう、広く発信していくこと。家庭内の問題として一人で抱えてしまう人は多いと思うんです。元ヤングケアラーの母がそうだったように」

関口さんは「とうきょう総文2022」弁論部門で、介護経験やヤングケアラーをテーマにスピーチをし、「優良賞」を受賞した

「ヤングケアラーの心に寄り添える自分でありたい」。そう決心した。「身近にヤングケアラーの人がいたら、まずは話を聞いてあげたい。それだけも相手の気持ちを軽くできると私は思っています」

ある日の叔父の食事メニュー。関口さんも食事づくりを手伝った

ときどき叔父は笑うという。「ボールを渡すと、その跳ねる動きが面白いのか、よく笑うんです」。会話を交わすことはできないが、「その笑顔を見ると介護の大変さが和らぎます。やって良かったなって」

無邪気に笑う叔父を見て、命の重さについて考えた。「まっこは手助けが必要な部分が人より多いってだけで、生きるために必要なことは私と同じ。命の重さに違いはなく、誰もが平等なんです」