3月に閉校する山梨・峡南高校には、70年あまり活動を続けた演劇部がある。最後の年の部員はたった2人。最後の公演のために創作したのは、学校生活や部での思い出を詰め込んだ作品だ。高校3年間を通じてひときわ努力を重ねた生徒をたたえる第24回「高校生新聞社賞」を受賞した2人に部活にかけた思いを聞いた。(文・中田宗孝 写真・学校提供)

3月に閉校、部員は二人だけ

演劇部は1951年(昭和26年)に最古の公演記録が残る伝統を持つ。昨秋に上演した「二人だけの演劇部」が、部の最後の作品となった。

舞台に立ったのは、中島健太朗君(3年)と市川綺邦君(3年)。部員は2人だけだ。下級生はいない。

3月で閉校する峡南高校の最後の演劇部員となった中島君(左)と市川君

上演した「二人だけの演劇部」は、学園祭で披露する出し物のアイデアを練る「峡南高校演劇部員」の会話劇。

序盤には、漫才のような小気味よい会話の掛けあい、唐突に始まるコミカルな“殺陣ごっこ”といった、脚本担当の市川君の「お笑い好きエッセンス」が散りばめられた。

上演作「二人だけの演劇部」(作・市川綺邦)の1シーン

学校の伝統行事盛り込み

中盤になると、峡南高校での学校生活が語られていく。応援部が新入生に声出しの指導をする「応援練習」、生徒が最寄り駅・通学路を清掃する「駅清掃」といった伝統行事を2人が再現し、物語のトーンは切なさを漂わせ始める。

ラストシーンでは、昭和40年代の授業風景や、甲子園出場時の野球部の写真などを舞台背景に映し出しながら、物語は大団円を迎える。

上演中の写真の投影で実際に使われた1983年の「春の甲子園」に出場した峡南高校野球部の様子。同野球部は、過去2度の甲子園出場を果たした

劇中では、応援部顧問から熱心な勧誘を受けるも、興味のあった演劇部に入部する2人が描かれている。このシーンは、2人の実体験だ。「劇ではそれぞれ役名があり、演じてはいるんですが、中島と市川の日常を描いた物語でもあるんです」(市川君)

舞台上でも、普段の仲の良さが垣間見える演技のやりとりを見せてくれた

昨年11月、県大会本番を「今までで一番の出来」(中島君)で演じきり、審査の結果「芸術文化祭賞」「優秀賞二席(3位相当)」を受賞した。

峡南高校の校舎。建物中央に設置する校章は、昨年3月に行われた「校章降納式」で降ろされた。「学校が終わっちゃうんだなと、強く感じさせる行事でした」(中島君)

学校はなくなっても記憶には残る

2020年4月に峡南高校を含む3校の再編により開校した青洲高校には、今のところ演劇部はないという。「学校がなくなる。演劇部がなくなる。一言で言えば悲しいです」(中島君)「寂しくてたまらない。できれば新たな演劇部を作ってもらいたい」(市川君)。2人は言葉を続ける。

「青州高校には、僕らが県大会で優秀賞二席になった賞状が飾られてます。峡南高校に演劇部があったという“証”は残る。それだけも僕らはとても嬉しく思っているんです」

作品のラストを飾ったせりふには、「演技ではなく僕らの本心が込められてる」(中島君)のだという。

「峡南高校は幕を閉じるけど、みんなの記憶に残っていくと思う」

「新しい学校に伝統は引き継がれているしな。さっ、台本作りを始めよう」

「市川君はダメ出しされてもめげずに自分の信念を貫くのがすごい」(中島君)。「いつも明るい中島君。一緒に演技していると元気をもらえる」(市川君)と、演劇部での3年間を互いに労った