棗田珠音さん(岡山・おかやま山陽高校3年)は、極度に緊張すると話せなくなり、困った表情をみせてただ黙り込んでいた。彼女はそんな自分を変えるため「弁論」に挑戦した。スピーチの練習を毎日コツコツ重ね、弁論の全国大会で堂々と自分の声で語るまでに成長を遂げた。伝えたかったのは、障害を持つ母親への思いだ。(文・中田宗孝、写真・学校提供)
授業で指されて無言に……
自分の声を出して、人とうまく話せない。授業で指されると、困った表情に変わり無言になってしまう……。
高校1年のころの棗田さんは、誰かと話すことに対して恐怖心が芽生えていた。一方、自身の家族、母親や同じ学校に通う双子の姉が話し相手であれば、自然に会話を交わし、時にじょう舌になることができた。
当時、学校生活の中で先生と会話するときは、隣にいてくれる友人が棗田さんの意見を代弁していたという。先生に話すことがあるとき、先生からの質問に答えるとき、彼女は友人に短い単語で伝える。その言葉を通訳者のようにくみ取った友人が「(棗田)珠音さんは○○と言いたいんだと思います」と、先生に返していた。
そんな棗田さんに大きな転機が訪れる。校内外で「弁論」を行なっているスピーチ部の存在を知ったのだ。「口下手な自分を『弁論』で変えたい」
「弁論」は、自らの体験や主張をスピーチ原稿にまとめ、制限時間内に聞き手に向け
て口頭発表する取り組み。高校1年の11月、棗田さんは入部を決心し、弁論への挑戦が始まった。
母は文字が読めない
「『お母さん、コロナで学校が休みになるって書いてるよ』と言って、私は学校からのプリントを母に手渡しました。私の母は文字が読めません。文字が習得できない障害、いわゆる読字障害者なのです。……学校に出す書類など、すべて私たち子どもを通してのやり取りです」
棗田さんの母親には「読字障害」があり、文字を読むことがうまくできない。彼女の母親のケースは、平仮名や数字は文字として何とか認識できるが、漢字になるとグチャグチャな絵のように見えるのだという。そのため、学校で配布された保護者宛てのプリントなどは、棗田さん姉妹が内容を読んで母親に伝えるのが、小学生のころからの日常だ。
棗田さんの家族は母子家庭。読字障害を抱えながらも彼女の母親は、職場でパワフルに活躍している。仕事で作成した書類に間違いがないかのチェックは読字障害のためできないが、職場の人のサポートを受けながら日々の業務をこなす。そして、家では子どもたちにありったけの愛情を注いでいる。
歌が上手な母親は、子どもたちの誕生日には、オリジナルの歌詞を加えた「Happy Birthday to You」を聞かせた。「母はピアノやギターも弾けるんです」と、棗田さんは笑顔で話す。友達や姉妹のような親子関係だ。
「弁論」を通じて、棗田さんが声を発して届けたかったのは、そんな母親への「いつもありがとう」の感謝の気持ちだ。
少しずつ声が出せるようになり
スピーチ部顧問の平松歩先生は、「珠音さんには、人前で恥ずかしがらず、怖がらず話せる自信を持ってもらうような指導をまず心掛けました」と話す。
他の部員たちと一緒に練習すると緊張してしまうため、棗田さんは別室での個人練習に毎日励んだ。平松先生は、練習中に少しでも棗田さんの進歩を感じれば「声、出てるよ!」と、その度に褒めて、背中を押し続けたという。
棗田さんは熱心に弁論の練習に打ち込んだ。部活動のない土日も声を出し続けたこともあった。くじけそうなときは平松先生から「やればできる!」と声を掛けられ、その言葉は自らを発奮させる合言葉になっていた。
地道な練習の成果が実り、か細い声しか出せなかった棗田さんは、教室全体に聞こえるくらいの声量でスピーチができるようになった。
母親を題材にした大会用のスピーチ原稿の執筆では「書きたいことが多かった」。平松先生は、「珠音さんは文章をたくさん書いてくれました。文章量が足りなくて困ったことはないです」と話す。
「読字障害を知らない人が多いので知ってほしかった」「自分の考えをしっかり伝えたい」。そう思いながら、棗田さんはペンを走らせ、推敲(すいこう)を重ね、納得のいくスピーチ原稿を完成させた。
大勢の人前で堂々スピーチ「やればできる!」
昨年10月、棗田さんは弁論の県大会に臨んだ。大会初出場、大勢の人前でスピーチするのも初めての経験。「本番前はすごく震えた」(棗田さん)。緊張する彼女を部員たちが励ました。
棗田さんを壇上に送り出した平松先生は「(持ち時間の)7分間、一言もしゃべらないこともありえると思いました」と振り返る。だが、先生の心配は杞憂(きゆう)に終わった。
「……やればできる!」
演台の前に立った棗田さんは堂々とした態度でスピーチを披露したのだ。彼女は、文字が読めない母親に向けて、普段は気恥ずかしくて言えなかった思いの丈を「声の手紙」にして伝えた。そして聴衆に、「母のように、読字障害があっても適切なサポートがあれば、持ち味を生かしながら活躍できることを知ってもらい、誰もが輝ける社会を目指したいのです」と、メッセージを届けた。
棗田さんの弁論は、審査員たちから高く評価され、全国大会への出場が決まった。
会場には母親と姉の姿もあった。「家族が見守ってくれる安心感がありました」(棗田さん)。母親からは「すごいじゃん。やればできるね」と、祝福を受けたという。
弁論で変わった姿に先生もびっくり
8月の全国大会(紀の国わかやま総文2021)でも、棗田さんは壇上で臆することなく発表。大会中には、全国から集まった他校の弁士たちに自ら率先して話し掛けて親交を深めたそうだ。「総文祭は、部活での一番の思い出になりました」(棗田さん)
棗田さんは「弁論」を始めて成長した。部では、後輩たちの前でも発言できるようになった。まだ人前では緊張からうまく話せないこともあるが、着実に前へと進んでいる。
普段の学校生活も充実している。スピーチ部の入部と同時期に、生徒会役員に立候補して参加。それから約2年、役員の一人として生徒会活動に取り組んでいる。
昨年の体育祭では、スピーチ部員として放送係を務めた。棗田さんにマイクを渡すと、リレー競技の走者に向けて「頑張ってください!」とエールを送り、先生たちは大きな声を発した彼女に驚嘆したという。「(スピーチ部で)声を出し、人前で話す練習をして自信が持てるようになった」(棗田さん)
現在、棗田さんは、12月の弁論大会に向けて今日もスピーチの練習を続けている。