藤井莉子さんの弁論原稿「2%の奇跡」

「お母さんは、寝たきりになるかもしれない。自分の足で立てるのは、2%の確率だ。」

6年前、母は交通事故に遭い、奇跡的に命は助かりましたが、医者からは「自分の足で立つのは 2%の確率だ」と言われたのです。

ICU に入り意識もなく、面会謝絶の状態が続きました。一ヵ月後、やっと面会できることになりましたが、病室にいる母は、目と口が少し動くだけで、その姿に私は言葉を失いました。

母子家庭で母と二人暮らしであった私は、祖母に引き取られ、小学校に通いました。たまに母の見舞いに連れて行ってもらいましたが、母はトイレや入浴、着替えや移動の度に私の名前を呼んで介護の手伝いを頼むのです。次第に私は母の現実から逃げていきました。そして、祖母や親戚からは、母がたとえ退院できたとしても、母と二人暮らしになれば、子どもの私自身が辛い思いをするだけで、介護することはそんなに甘くないとも言われました。

そのことを知った母は、涙を流しながら、

「必ず皆を見返してみせるから、待ってて」

と言って、私にリハビリの様子を見せてくれたのです。歯を食いしばって、痛さを堪えながら体を起こそうとしたり、立ち上がって歩こうとしたり、何度も失敗し、倒れそうになりながらも挑戦する母の姿に私は胸が熱くなり、

「母を支えたい。母と一緒に暮らそう」

と心に決めました。

4年前、中学二年生になった私は、退院した母と二人で暮らし始めました。家事だけではなく、トイレや入浴の介助など、疲れた時は「辛い、しんどい」と弱音を吐き、母と衝突することも増えました。しかし、どんなに逃げたくても、母の介護ができるのは私だけです。学校に行っている間は、介護福祉士の方にお願いをしていますが、帰宅後は私一人なのです。そして、たまに母の友人たちが、気分転換に外出しようと誘ってくれます。そんな中で、それまで気が付かなかった多くの事を知ることができました。

母と一緒に行動すると、障害者目線で物事を見ることができるようになったのです。道路の少しの段差に車椅子がはまり動けなくなったこと。障害者用の駐車場に元気な人が車を止めていたため、なかなか駐車できなかったこと。障害者用のトイレの前で長い間待っていたら、綺麗にメイクをし、着替え終えた高校生が制服を持って出てきたこと。障害者用のトイレに入れば、無駄に広すぎて、便器と手洗いまでが遠くて使いづらく、障害者目線で作られていなかったなど、多くの事に気が付きました。そんな中で、私は健常者も障害者も安心して笑顔で生活できる世の中を目指したいと思うようになってきたのです。

現在、日本の障害者数は約 800 万人。高齢者を含めると 4000 万人にも上る人がバリアフリーを必要としています。しかし、利用者の声を聞かず、ただ形式だけでバリアフリーができていると信じられている施設や建物も多いのです。お金をかけるだけではなく、利用者の本当の声を聞いて、障害者の立場に立って心を理解して行動してくれる人が欲しいのです。

将来、私はバリアフリーや再生医療について学びたいと思っています。再生医療で障害を持った方の希望の光となりたいのです。

そして、誰もが生活しやすく、笑顔あふれる世の中にするために、力になりたいのです。私立高校に進学させてくれた母に感謝の気持ちを忘れず、今は家事も介護も勉強も精一杯頑張っています。そして、高校卒業後は、再生医療やバリアフリーを学ぶために大学に進学したいのです。

2%の可能性を、母は自分の意志と努力で手に入れました。今母は、社会復帰を目指して、リハビリに励み、杖を使えば少しずつ歩けるようにもなりました。2%の奇跡に負けないように、私も今を乗り越え、将来の夢実現に向けて努力し続けたいのです