母一人、子一人。母子家庭で暮らす藤井莉子さん(岡山・おかやま山陽高校3年)。交通事故が原因で車いす生活を送る母を介護する「ヤングケアラー」だ。介護や家事に追われ自由な時間がない、つらいリハビリをしなければならない…葛藤や苦悩を乗り越えた母子に、ある「奇跡」が起きた。(中田宗孝)

交通事故で重傷…母が再び立てる確率は2%

「お母さんが自分の足で立てるのは『2%の確率』」

藤井さん(左)と母。高校の入学式にて

医師の言葉に、まだ小学6年生だった藤井莉子さん(岡山・おかやま山陽高校3年)は動揺した。藤井さんの母は、交通事故で重傷を負い、長期の入院を余儀なくされてしまったのだ。

藤井さんは母一人、子一人の母子家庭。医師からの一言は、言葉にならないほどの衝撃だったと振り返る。

事故をきっかけに、藤井さんは祖母の家で過ごすこととなった。「母は『今日はこんな歩く練習したよ』『少し歩けたよ』と、(病院から)私に動画や写真を送ってくれたんです。厳しいリハビリを頑張っている姿に感動しました」

リハビリに懸命に励む母の姿を見て、決意した。「一緒に暮らして母の介護をしようって。決めました」

母との二人暮らし、介護、世話に追われる日々

中2から母親との2人暮らしが始まった。そこで容赦なく、車椅子使用者の介護の大変さを実感した。

高校1年生の時、体育祭の応援に駆けつけた母

「入浴やトイレの介助はもちろん、腕が曲がっていたり、足がむくんでいたりするので、服を着替えさせて靴を履かせるのも難しいんです」

家事や母親の世話で自分の自由な時間がもてなくなり、「何で私が?」と、よぎる瞬間もあった。思いが行き違い、母親と何度もけんかした。

それでも藤井さんは「(介護する人、される人の両者が)本音で語り合うことは大事」だと話す。

「相手の不満なところをぶつけ合った後は、お互いが笑顔で毎日過ごすにはどうすればいいか、2人で話し合って改善していきました。普段は、母とのお喋りを楽しみながら介護をしています」

車椅子の母親と暮らしてから藤井さんは、高3となった今も、早起きして自分用のお弁当を作ってから登校する日々を続けている。

本当にバリアフリーになってる?

車椅子の母親と外出すると、バリアフリー化されたはずの施設に疑問を抱くようになった。

車椅子対応のスロープを通って店舗にたどり着いても、入口に敷かれたカーペットが車椅子を押す邪魔になる。多目的トイレは、便器と手洗いカウンターが離れていて使いづらかった。

「本当に障害者目線に立ってるのかな?」と疑問が浮かんだ。「(バリアフリーを必要とする)利用者の本当の声を聞いてほしい」

自らの足で歩けるようになり…「あきらめない大切さ学んだ」

藤井さんの母親は現在、杖を使って自らの足で歩けるようになり、行動範囲が広がったという。サポート付きで階段の昇り降りもできる。

長く険しいリハビリに取り組んだ結果、「2%の奇跡」を手に入れたのだ。

藤井さんは、「すぐに成果が出なくても、小さな努力の積み重ねが実を結ぶことを母が身をもって証明した。あきらめずに続ける大切さを教えてくれたんです」と、母親に尊敬のまなざしを向ける。

母との日々を弁論で伝える

車椅子の母親との生活を弁論の県大会で発表して高評価を得た。大会の会場には、藤井さんの応援に駆けつけた母親の姿があった。全国大会にあたる「全国高校総合文化祭(2020こうち総文、WEB開催)」の「弁論」部門に出場を決めた娘の活躍に、母親は涙を流して喜んだ。

県大会で全国への切符を得た

しんどくなったら迷わず声を上げて

藤井さんのように、病気や障害を持つ家族のケアをする子どものことを「ヤングケアラー」と呼ぶ。同じ境遇に置かれている同世代へ、「介護がしんどくなったら一人で悩まず、まわりに助けを求めて」と語る。

藤井さん

「絶対に助けてくれる人はいるので、迷わず声をあげてください。しんどい気持ちが楽になるはず。未成年でできないことも多い私は、ヘルパーさんや、母の友人たちに助けられています」