米国での挑戦を経て「スーパースター」の風格はさらに増した (青木美帆撮影)

193センチのサイズとダンクシュートを決められるほどの身体能力を誇り、国内バスケットボール界では、もはや「敵なし状態」の渡嘉敷来夢(JX-ENEOSサンフラワーズ)。高校卒業後に実業団入りして6年目の今年、世界最高峰の米プロリーグWNBA挑戦に踏み切った。その理由と米国で得た経験を聞いた。
(青木美帆)

海外行き促す声に「違和感」

「自分は高校のころからずっとトップにいるので、そこからつぶされて、はい上がりたかったんです」

 高校時代(愛知・桜花学園)は全国大会に9回出場して8回優勝。史上最年少の16歳で日本代表候補に選出され、卒業後に入ったWリーグでも史上初となるルーキーでのシーズンMVPを獲得した渡嘉敷は、いつも刺激を求めていたという。

 その一方で、ルーキーのころから続いた「海外に挑戦しないのか」という声には、強い違和感があった。「誰が何と言おうと、自分はまだそこまでの選手じゃない」。大きな夢を追うのではなく「身近な目標を積み上げていくタイプ」という渡嘉敷に変化が訪れたのは2012年のことだった。

アジアを制し「GOサイン」

この年、女子日本代表はロンドン五輪出場への最後の望みをかけて世界最終予選に挑んだが、渡嘉敷は故障のため代表メンバーから外れていた。戦いに敗れた仲間たちが泣き崩れる様子をテレビで見ながら「こんな顔はもう見たくない。今度こそ、絶対に一緒にオリンピックに行くんだ」と決心。以降、「オリンピック」「世界」という言葉を意識的に口にするようになった。

 女子日本代表は、13年の世界選手権アジア予選で43年ぶりに優勝。渡嘉敷は大会MVPとベスト5を獲得し、ようやく自らにGOサインを出した。WNBAの関係者にプレー映像を送ってアピール。今年5月からのトレーニングキャンプを経て、6月にシアトル・ストームの開幕ロースター(登録選手)入り。晴れて日本人3人目となるWNBAプレーヤーとなった。

米国選手の強さに衝撃

渡嘉敷がWNBAで最も衝撃を受け、苦戦したのが、選手たちの体の強さだった。「筋肉量や体のつくりが違うのか、自分より小さい相手にも吹っ飛ばされました。まるでトラックにぶつけられたみたいな、笑っちゃうくらいの強さです」。体はあざだらけになり、シーズン序盤はむち打ちにもなった。

 ゴールに攻める気持ちの強さにも驚いた。「『自分がやる』という強い気持ちがないと、アメリカではやっていけないんだなって分かりました」

 ゴール下でのプレーがほとんどだった日本と異なり、アウトサイドから攻めることを監督に求められて悩んだこともあった。しかし「考えていてもしょうがない」と気持ちを切り替え、持ち前の走力とディフェンス力を発揮。開幕から1カ月弱でスタメンに定着し、日本人選手として初のルーキーベスト5に選出される活躍を見せた。

 さらに、8月後半にはチームを離れ、リオ五輪アジア予選に挑む日本代表に合流した。会場に向かう飛行機の中で、フォーメーションを頭にたたきこむ強行スケジュールだったが、世界屈指のリーグでもまれた渡嘉敷にとって、アジアの壁はもはや高いものではなかった。日本代表は、決勝で中国を85-50と大差で下し、念願の五輪への切符を獲得。「WNBAの選手に比べたら(アジアの選手は)全然余裕でした」と自信を持ってコメントした。

新しい自分に出会えた

「英会話のレベルは幼稚園児が小学生になったくらい」と笑うが、チームメートとの食事やパーティーに参加したり、オフには1人で観光などをした。約半年間の米国生活を「毎日が勉強で楽しかった」と振り返る。

 「日本でなら、プレーに迷ったときにすぐに誰かに相談できるけど、アメリカではそうはいかない。自己解決できるようになったのは大きな収穫でしたし、新しい自分に出会えるのは海外挑戦の大きな魅力だと思います」

 WNBAでのシーズンを終え、現在は再びJX-ENEOSの一員として国内リーグで奮戦している。来年はリオ五輪で世界のトッププレーヤーと対戦し、2シーズン目のWNBAでのプレーにも挑む。
 
とかしき・らむ 1991年6月11日生まれ。埼玉県出身。桜花学園高卒業後、2010年にJX(現JX-ENEOS)入団。今年のリオ五輪アジア予選では世界選手権予選に続きMVPを獲得した。愛称は「タク」。193センチ、85キロ。