2017年に付属中、2021年に高校の男子バスケットボール部が創部した四日市メリノール学院(三重)。2年連続で出場したウインターカップ(全国高校バスケットボール選手権大会、2023年12月23日~29日開催)で同校を引っ張ったのは、中高6年間にわたって主将を務めた岩瀬宙(そら・3年)だ。(文・写真 青木美帆)

「泣かない」と決めたラストゲーム

「自分、いつもすぐ泣いちゃうんです。感情的になっちゃって。本当にすぐに」

岩瀬宙はそう打ち明け、照れくさそうに笑った。

しかし、高校ラストゲームとなった開志国際(新潟)戦は違った。チームメートや池田大輝コーチが試合終了のブザーが鳴る前から涙する中、チームきっての「泣き虫」は全力でそれをこらえ続けた。

初戦の県立青洲は接戦となったが、11得点11リバウンド6アシストの活躍で勝利に貢献した

「自分たち3年にとっては最後の試合でも、1、2年生は来年があるから。そういう思いを強く持って、ちゃんと『来年があるよ』って声をかけようと思ったんで、今日は泣かないと決めて、我慢しました。それでもちょっと泣いちゃいましたけど」

中高6年間、ずっとキャプテン

岩瀬は中高6年間にわたってキャプテンを務めるという非常に珍しい経験をしている。2017年、付属中に男子バスケットボール部が創部。岩瀬や同級生たちはその1期生として入部し、岩瀬は栄えある初代キャプテンに自ら立候補した。

チームには伝統もルールもない。トラブルが起きても助けてくれる上級生はいない。すべてを12人の1期生たちで話し合い、決めてきた。

「自分たちが伝統を作ることはすごく大変だったし、自分は変なやんちゃをしたりして先生たちに怒られることも多かったです。でも同級生たちはみんなすごく真面目で、自分がやろうとしたり言ったりすることを真面目に聞いてくれる子、チームのことを考えてくれる子が多かった。常にまわりの同級生に助けられてやってきました」

50点差の敗退、エースのケガ…どん底でも前へ

山あり谷ありの6年間だった。中3時には入学時から目標としてきた地元開催の全国中学校大会が、新型コロナウイルスの影響で中止に。「何のためにバスケをやってきたんだろう」と誰もが落ち込んだ。

高校に上がったら、再び「1年生チーム」として上級生チームにたたきのめされた。インターハイ予選では優勝チームに50点差で負けた。ミスをすれば落ち込み、注意されれば不快をあらわにするキャプテンは、池田コーチに何度も前述のとおりの感情的な性格を指摘され続けた。

2年時はインターハイ、ウインターカップともに初出場を果たしたが、勝利はならず。中高6年間の集大成となる今年のインターハイ予選は、「今年こそは……」という思いで臨んだ決勝で逆転負けを喫した。

試合の流れが傾きそうなときは、リーダーとして仲間を集めて結束を促した

悪い流れはさらに続く。その数カ月後、チームのエース・塚松奎太(3年)が右膝を大ケガし、今季絶望となった。

どん底に落ちても仕方ない状況で、岩瀬は前を向いた。「自分が奎太のかわりにエースにならないといけない」。翌日体育館に集まった仲間たちからも「奎太の分も自分がやる」という気持ちを感じ取った。エースが抜けた穴をカバーするには、一人一人の強い気持ちが不可欠。「エナジー」という言葉を毎日のように使って仲間を力強く鼓舞した。

塚松とその後骨折を負った安田宗太(3年)を欠き、岩瀬自身も利き手をねんざした状態で臨んだ11月のウインターカップ予選決勝。メリノール学院は宿敵・県立四日市工業(三重)を49-64で破り、最後の全国大会の切符をつかんだ。岩瀬は誰よりも激しく泣き、勝利を喜んだという。

「下を向いたらダメだ」仲間を鼓舞

自らのリーダーシップのあり方を、強気に戦い続ける姿勢ととらえている。

「派手なプレーやかっこいいプレーはできないので、声でチームを鼓舞したり、ルーズボールやディフェンスでハッスルしたり。いつも『もっと気持ちを出してやろうよ』っていう声かけをしています」

開志国際戦は序盤から点差が開いた。「受け身になってしまった」と悔やんだ(日本バスケットボール協会提供)

昨年大会優勝チームの開志国際との試合は、気持ちが受け身になったことが理由で序盤から一気にワンサイドゲームとなった。岩瀬は何度も仲間たちを集め、強い言葉で励まし、後半は大差がついた中でも強い気持ちで堂々と戦った。第4クォーター終盤には、軽く体を動かせるようになった塚松もコートイン。3本の3ポイントシュートを沈めた。

「わざわざ三重から応援してくれる保護者の方がいるのに、自分たちが下を向いたらダメだと思ったし、奎太をコートに立たせてあげたかったので。いつでも奎太を気持ちよくコートに迎え入れられるように、常に顔を上げて、ポジティブに、どんだけ点数が開いても、うまくプレーがうまくいかなくても、しっかり切り替えることを意識してやってました」

受け継がれる「エナジー」の精神

6年もの間、「初代キャプテン」という大役を担ってきた。しかし、まだ冷静になりきれないところがあるという自覚があり、キャプテンとしてもまだまだだと頭をかいた。

後輩たち、そしてメリノール学院というチームに、自分が何を残せたかはわからないという。ただ、しつこく言い続けてきた「エナジー」という言葉を他の選手たちも多用するようになったとうれしそうに教えてくれた。

「気持ちを強く持つということは最後に残せたかなと思います。『メリノールと言えば気持ちの入った強いプレー』。まわりからそう言ってもらえるようなチームにしていってもらいたいです」

仲間のために前を向き、涙をこらえたキャプテンの思いは、メリノール学院の大きな礎になるはずだ。

いわせ・そら 三重県出身。両親がコーチを務めるミニバスケットボールチームで小学3年生から競技を開始。憧れの存在は、競技を始めるきっかけになった土家大輝(福島ファイヤーボンズ)と、今年度教育実習生として赴任しさまざまなアドバイスを受けた黒川虎徹(東海大4年)。塚松いわく「公私ともに陽キャ」な性格。176センチ72キロ。