平賀さんの弁論原稿

半分、おっぱい。

西大和学園高校 2年 平賀茜音

「茜音、いつまでおっぱいのみよん⁉」

小学校に上がった頃から、母は私にこんなことを言ってくるようになりました。

おっぱいを飲むことは私の生きがい。一方で、いつまでもおっぱいに依存する自分を恥ずかしく思っていました。

しかし、そんな私にも誇れることがありました。

それは、7つ歳の離れた妹の姉であるということ。

ずっと一人っ子だった私にとって、妹、というのは念願の存在でした。

ですので、お互いがまだ小さかった頃は、毎日のように近所の公園へ遊びに行っていました。

そんな私に、人生を変えるような出来事が起こりました。

ある雨上がりの日、いつものように遊んでいるとクラスの友人が近づいてきました。

私はにっこりと微笑み、初めて自分の妹について話しました。

妹の鼻の下につけている太いチューブのこと、心臓に疾患があるということ、そして、そんな妹の面倒を毎日のようにみている自分自身のこと。

ふと、滑り台の下の水たまりに映った自分の顔を見て、ぞっとしました。

ニヤニヤと話す自分の顔に大きなショックを受けたからです。

私は、自分のことを「お姉ちゃん」と呼ぶ唯一の存在である妹の、最大の味方だ、と思って生きていました。

でも本当は、妹の笑顔なんてどうでもよかったのです。

身体の弱い妹の姉、という立場から得られる、やさしいお姉ちゃん、という評価のために、私は妹の不幸に寄生し、よりかかり依存していたのです。

その出来事以来、私は妹と距離を置くようになりました。

月日は流れて去年の3月のことです。

進学を機に、地元・香川から奈良県へ、家を出ることになった私に、妹が手紙をかいてくれました。

手紙の中には、「お姉ちゃん、最近あんまり遊んでくれんね」と書かれてありました。

妹の丸く幼い字が、私の胸を締め付けました。

妹に依存することをやめて、自立しよう、自立しなきゃ、そう意識すればするほど、寂しい思いをさせてしまっていたのです。

私は兄弟の中で孤立し、深い溝を埋めることなく家を離れることになりました。

引っ越し作業がおわり、すっきりとした新しい部屋。いつも使っていたコップを洗面台のとなりに置く。そこには歯ブラシが一本だけ。窓から部屋の中に夕陽が差し、いつも見ているものが照らされ、影ができ、冷蔵庫の音だけがブーンと聞こえる。なんだかたまらなくなり、母に電話をかけました。

「お母さん、やっぱ香川に帰る」思わずそう言った私に母は笑ったあと、「安心した、私はまだお母さんでいられるんやね」と言いました。

あぁ、そっか。母はそんなふうに思っていたのか。母が何気なく言ったその言葉、当たり前のように言うその言葉に、思わず涙が出ました。

私はずっと、いつまでも誰かに依存している自分のことを恥ずかしく思っていました。

でも、私が今までおっぱいや、妹という存在に依存していたのと同じように、母もまた私を必要として生きていたのかもしれない…。

今では、私にとって、「おっぱい」とは、落ち込んで辛くて、自分を追い詰めてしまいそうになったときに支えとなってくれる、心の中の柔らかく、温かいよりどころです。

思春期真っただ中のみなさんに質問です。

みなさんは、18歳の時点で、自分が自立した成人になれると思いますか。

2,022年に行われた日本財団による18歳意識調査によると、「そう思う」と答えた人は全体の1割でした。

誰かに頼っても良い、そう思うだけで、そういう人がいることで、いったいどれほどの人が自立できることでしょう。

自立は孤立、ではありません。だから、「半分、おっぱい」

あなたが誰かにゆるやかに依存し、一方であなたが誰かを支えてあげたら、つまり、「半分、おっぱい」でいれば、自立は何も怖くないはずです。きっと、1人で抱え込むよりも、何倍も柔らかく、そして強く生きることができます。

最近、妹と文通をはじめました。「お姉ちゃん」と書かれた文字が、回を重ねるごとに大人びていくのを見るとなんだか私まで成長した気になり励まされます。

あなたが誰かの、誰かがあなたの「半分、おっぱい。」でありますように。