古田さんの弁論原稿
壁の向こうに手を伸ばして
岐阜北高校 3年 古田桃香
「今ありて未来も扉を開く。今ありて時代も連なり始める。」
あの日、私は甲子園から空を見ていた。大会歌の歌詞に、未来への想いをはせながら。
生まれつき視覚に障害のある私は、小学1年生からの9年間を盲学校で過ごした後、岐阜北高校に進学しました。普通校にしかない学びや経験に憧れて選んだ進路。とはいえ、健常者ばかりの環境に不安がなかったわけではありません。 盲学校にいた頃、普通校で障害への理解が得られなかったり、いじめを受けたりして、転校してくる人を何人も見ていました。健常者と私は、考え方も行動も、ましてや息の吸い方まで違うんじゃないか。この意識が足を引っ張り、当時所属していた合唱団では、同年代の健常者と上手く関われませんでした。周囲に自分がどう映っているのか不安で、自ら壁をつくっていたのです。
高校では同じことを繰り返したくない。そう思った私は、周囲に自分の障害について説明し、困った時は自分から尋ね、助けてもらったら必ず感謝を伝えるよう心掛けました。すると、誰もが私の話に真剣に耳を傾け、いつも私の目を気にかけて快く助けてくれました。そして、何より嬉しかったのは、皆が健常者の友達と同じように接してくれたことです。一緒に勉強したり、たわいもない話をしながらお弁当を食べたり。見え方の違いを忘れて、大切な友人たちとありふれた日常を送れる幸せを知りました。球技大会のバレーボールでは、サーブのみ参加する私を、皆がチームメイトの一人として当たり前に受け入れてくれました。「良い意味で障害のこと気にしてない。親友だから」サーブが決まるたび、皆が自分のことのように喜んでくれて嬉しかったです。共に生きるのに、障害の有無は関係ないと、皆の優しさが教えてくれました。
高校が安心できる場所になったことで、部活にも夢中で打ち込めました。放送部で朗読の練習を重ね、2年生の夏に全国優勝を果たしたのです。そして、春の選抜高等学校野球大会で、開会式の司会に抜擢されました。 健常者と関わることを恐れていた私も、勇気を出して壁の向こうに手を伸ばしたら、皆も手を差し伸べてくれた。壁を越えて手を取り合えたことで、私は変わることができたんです。だから今度は、私から多くの人に、壁を越えるエールを届けたいと思いました。互いを認め合い、支え合って前に進めば、未来は変えられる。そう伝えることこそが、私が甲子園に導かれた理由だと思いました。
3月18日。私は甲子園のグラウンドに立っていました。
「選手、回れ右!選手がマウンド方向に前進します。」
甲子園の春空に自分の声が響いていく感覚は、一生忘れることがないでしょう。大会歌を聴くうちに、歌詞が自然と自分に重なり、熱い想いがこみ上げてきました。
「今ありて未来も扉を開く。今ありて時代も連なり始める。」
高校で勇気を出して行動したから、今の私があるように、甲子園で大役を務めている今の私も、きっと未来の私に繋がっていく。そして、障害を抱えながら夢の舞台に挑む私の姿が、誰かに希望を与え、誰かの未来の扉を開くきっかけになったなら。障害者と健常者を取り巻く環境が一気に変わることはなくても、意味のある一歩を踏み出せた気がして、生まれてきてよかったと思えました。
後日、開会式を見てくださった全国の方から、多くのあたたかいメッセージをいただきました。想いが届いたことを実感し、これからも自分にできることを考え、行動に移し続けたいと強く感じました。 障害の有無のように、自分とは明確な違いをもつ他者と関わることは、時に怖く、面倒に思えるかもしれません。それでも、一人一人が分かり合おうとする心をもって行動すれば、私たちは共に助け合い、同じ方向を向いて歩きだすことができます。壁を越えて手を取り合うために、まずは勇気を出して、壁の向こうに手を伸ばしてみませんか。