私の学校には、細かい校則がたくさんあります。存在意義が分からない校則について先生に質問しても、答えは「ダメだから」でした。校則の存在意義について考えたことをお伝えします。 (高校生記者・ポリエステル=2年)
たくさんの校則に縛られる毎日
まずは、私の学校の校則を紹介します。夏服になるまではブレザーを必ず着用し、衣替え時期が指定されています。女子の靴下は指定のハイソックスで、ピンで留めるネクタイとリボンです。
男子の髪の毛の前髪は目にかかってはいけない、後部は襟にかかってはいけない、横は耳にかかってはいけない。そして、髪の色を染めることは許されません。
いかなる時も指定のバッグで登校し、学校の敷地内ではいかなる時もスマートフォンの使用が認められません。着てよい防寒着は条件があり、iPadの使用にも規制があります。書き切れないほどたくさんの校則があるのです。
校則がある理由は「ダメだから」
人によってはこれらの校則に「何も感じない、普通だ」と考える方もいるでしょう。ですが、私は不満を持っています。中には必要な校則もあるでしょう。しかし、必要性がわからないものもあります。先生に校則の理由を聞いても、「ダメだから」と言われて、終わってしまいます。
校則がなくなったら、学校は荒れるかもしれません。しかし、「本来の目的である学業を行えるのか、周りに迷惑をかけないか」などを考えるのは生徒一人一人です。「校則にしたから」といって、何か変わるわけではないと思います。
そして、選択を誤ってしまったときに道を正すのが先生、学校の役割なのではないでしょうか。何のために担任の先生がいるのでしょうか。勉強をしに行っているだけなら、担任はいりません。
校則が拘束にならないように
情報社会の今、「何がダメで何が正しいのか」を自分で考えることが重要になっていると思います。今だからこそ、「昭和な校則、学校」も変化し、校則が「拘束」にならない学校がもっと増えてほしいと思います。