社会の「女子高校生(JK)」像に、先入観や固定観念を感じることがあります。JKという言葉には、若さやかわいさ、フレッシュさなどプラスのイメージがある一方、性的な意味や下に見るニュアンスで使われる場合もあります。「JKブランド」という呪いに、女子高校生である私自身もとらわれている気がします。(高校生記者・美久=2年)
不快な成人向け広告に「JK」の文字
「JK」は、しばしば消費の対象とされていると感じます。SNSでは「JKに人気!」「JK必須アイテム」といったフレーズがあふれ、性的なコンテンツに使われる場合も多いです。

例えば、スマホで調べものをしていると、女子高校生を「性の商品」としているような成人向け広告が見たくもないのに頻繁に表示され、不快です。
好きなYouTubeチャンネルだったのに、「大人の男性が、女子高校生と付き合うための努力をする」というテーマの動画が投稿されていてショックでした。
「若いねえ」特別視されモヤモヤ
ネットだけでなく、現実でも不快になったことがあります。例えば、スポーツジムで年齢を告げた際、私とあまり年の差がない20代前半くらいの男性から「うわー、JKかぁ。若いねえ」と言われました。
相手も私も同じ「若者」なのに、私は「JK」として特別視される感じがして、モヤモヤしました。
「JK」でくくられるプレッシャーを感じる
アルバイト先の飲食店で、一緒に働く40~50代の男性から「女子高生がいると職場がフレッシュになるね」「JKなのにこんな大変なバイトしようと思うなんて」と言われます。

「JK」としてくくられると、「JKらしい明るさや無邪気さ、愛嬌を求められている」とプレッシャーを感じました。「求められている『JK像』らしくふるまわなければ」と意識してしまいます。
「男子高校生(DK)ブランド」はない?
高校に入学したとき、友達が「ついにJKブランドを手に入れた!」と言っていて、違和感を覚えました。まるで「JKであること」が特別な価値を持つように感じます。
男友達の「『DK』(男子高校生)に価値はないけれど、『JK』には価値がある」という言葉が印象的で、私も妙に納得してしまいました。「JKブランド」と言う人はいても、「DKブランド」と言う人はあまり見たことがありません。
「JKブランド」が重荷
私はJKブランドが重荷です。「JKのうちに〇〇しなきゃ」「JKだからこうしよう」など日常会話で話題になり、私も縛りを無意識に受け入れてしまっています。

中学生のころは、映画や漫画のような「キラキラしていて何事も全力で頑張る、純粋なJK像」に憧れていましたが、今の自分とはかけ離れています。「私は世間が求めるJKではない」と、コンプレックスになっているのかもしれません。
卒業しても私の価値は変わらない
卒業シーズンには「もうJKじゃなくなるのかぁ」という言葉も聞きます。しかし、「JK」でなくなっても、人の価値は何も変わりません。卒業後は世界がさらに広がります。経験を積み重ねれば、もっと成長できるはず。「JKではない自分が必要とされているのか」と、心配する必要はないと思います。
私は私。「JKブランド」に縛られることなく、自分の意思でどう生きるかが大切だと思います。