12月に行われた全国高校バスケットボール選手権(ウインターカップ)男子決勝で、帝京長岡(新潟)は、福岡大学附属大濠(福岡)に56-59と惜敗。初の準優勝となった昨夏のインターハイを超える成績には届かなかったが、キャプテンとしてチームを引っ張った田中空(3年)は、大病を乗り越えたくましくプレーした。(文・青木美帆、写真提供・日本バスケットボール協会)

大接戦の末、惜敗…涙止まらず

試合終了を告げるブザーが鳴り響く中、田中は頭を抱え、ヒザに手をついた。試合後の整列に向かうため、顔を上げて歩み出そうとしたが、すぐにうずくまってしまう。あふれ出る涙はその後長く止まることがなかった。

試合後、立ち上がれないほど涙を流した田中

柴田勲コーチが「いいときも悪いときも、いつも前に立ってチームを引っ張ってくれた」とたたえるチームの精神的な支柱。ベンチで試合の状況をうかがい、コートに立てば粘り強いディフェンスや的確なシュート、パスで流れを変える。

決勝の第4クオーター残り3分23秒、ボールスティールからのシュートで逆転に成功したときのことを問われると、「頭で考えず体だけで反応したプレー。日頃から練習してきたものを大事な場面で発揮できて、すごくうれしかったです」と振り返った。

決勝では25分出場し、5得点3リバウンド3スティールを挙げた

74人をまとめるキャプテン

中でも際立っていたのがリーダーシップだ。勝負どころでは大声でチーム全体の士気を高め、一人ひとりに細やかに声をかける。74人という大所帯のチームをまとめるため、先代のキャプテンやかつて同校でキャプテンを務めた兄に教えを乞い、そこから自分なりのリーダーシップを構築していった。エースの島倉欧佑(3年)は、「田中キャプテンのおかげでチームの会話の質が高くなっていると感じる」と話す。

自分の緊張は隠して

主力唯一の2年生で、ゴール下で熾烈(しれつ)なマークを受けるコネ・ボウゴウジィ・ディット・ハメードに対しては特に気を配った。ピンチのときには何度も胸をたたき、決勝では「今日が最後。どんなことがあっても全力で出し切ろう!」と励ました。

田中はコネ(手前の14番)に何度も声をかけた

「自分もすごく緊張していたけれど、コネはまだ2年生。自分の緊張は隠して、最後はキャプテンとしてしっかり引っ張ってあげたいと思っていました」。田中は、この行動に込めた思いを説明した。

突然の大病、1カ月の入院…

田中は昨年4月、大病を患った。病名はギラン・バレー症候群。体中の神経がまひし、症状が進むと動くことすらできなくなる国の特定疾患で、1カ月間もの入院を余儀なくされた。

チームの所在地であり、自身の生まれ故郷でもある長岡市で開催されるインターハイを数カ月後に控えてのアクシデントに田中は大きなショックを受けたが、柴田コーチや仲間たちの「あせらなくていいぞ」という励ましに支えられながら運動量や体力の回復につとめ、本番では見事にチームの準優勝に貢献した。

体を張ったプレーを見せた仲間を笑顔でねぎらう

「チームにすごく迷惑をかけたし、自分がいない間、チームがどんな状況かわからず不安だったけれど、復帰後はみんなあたたかく迎え入れてくれてとてもやりやすかったです。加えて、病気を通じて強い気持ちを持つことができました。病気があってよかった……と言うのはちょっと違いますが、少なくともすごくいいきっかけになったと思います」

「この仲間で最終日まで残れて、決勝の舞台に立たせてもらって、嬉しい気持ちでいっぱいです」とコメント

悔いはない、胸を張って帰れる

田中が本格的にバスケットに打ち込むのは、この大会が最後になる。決勝後に流した大量の涙には、「全国制覇」という目標を果たせなかった悔しさだけでなく、ともに切磋琢磨(せっさたくま)した仲間たちと、全国の高校3年生の中で一番長くバスケができた喜びや、競技としてのバスケと別れる寂しさもこもっていた。

「悔いはありませんか?」との記者の問いに、田中はうなずき、答えた。

「いい仲間といい指導者に恵まれました。胸を張って長岡に帰れると思います」

たなか・そら 新潟県長岡市生まれ。新潟市立葛塚中卒。8歳上の兄は2013年に帝京長岡が県大会初優勝を果たしたときのキャプテンで、初出場のインターハイで福大大濠に敗れたという因縁も。今大会の1回戦で福大大濠に敗れた開志国際(新潟)の思いを背負い、決勝では同校のチームカラーである赤いインナーを身に着けてプレーした。173センチ、72キロ。