今春、一緒に住んでいる家族全員が新型コロナウイルスに感染し、祖父を亡くしたLink君(高校3年男子)。自らの隔離施設での生活、後遺症、祖父との別れ、感染経験者だからこそ伝えたいことについて明かしてくれました。

家族がどんどん感染

俺は今年2月、新型コロナウイルスに感染しました。

気づいたら初めに兄弟に症状が出て、母、俺、父の順に倒れていきました。感染経路はわかりません。症状が出たらすぐに各部屋へこもり、当時同居していた祖父も感染を防ぐために部屋で「逆隔離」の措置をとりました。

家族が次々コロナに感染(写真はイメージ)

幸いにも(感染していない)兄夫婦が近所に住んでいたので、買い物をしてもらったりかかりつけ医への連絡もしてもらったりできたので、すぐにPCR検査を受けられました。結果は、祖父以外全員陽性。

持病持ちの高齢者がいたこと、ちょうど第3波が落ち着いていたことなどの幸運が重なり、全員が隔離施設へ入れました。

39度の高熱、重たい食事で食べられない…

隔離施設へ入ってすぐ、保健所から電話がありました。事務的な連絡のみですぐに切れました。

隔離施設はビジネスホテル(写真はイメージ)

 

最初はずっと寝てればいいと思っていました。けれど、高熱が出続けて39度近くまで上がりました。感染防止のために換気もできず、鬱々(うつうつ)とした空気はなくなりません。

食欲はなくとも食事は提供され、しかも体調が悪い時に食べるには「重いもの」が多々出てきます。地元の協力ということですがハンバーガーが出てきたことも。

元気なときならうれしく、とてもおいしいものなのでしょうが、伏せているときに食べられるものではなく、そのまま残してしましました。食事を抜いたことも数知れません。

どうやら嗅覚異常があったらしいけれど、空気が滞っていたせいか鼻が効かないことすら気付きませんでした。施設で過ごす最後の方は持ってきていた煎餅を一日一つ取るのがやっとなくらい食欲はうせていました。

ハンバーガーは重かった…(写真はイメージ)

後遺症があろうと食欲がなかろうと、熱が下がってある程度の日数が過ぎたら隔離施設を出ていかなければいけません。病床が逼迫(ひっぱく)していたための措置にしても、体調は悪いままなので薄情だと感じました。

加えて、施設から退去する際は自力で帰らねばなりません。施設から家までタクシーに乗るほどのお金は持っていなくて、スーツケースを持って電車で帰宅。「コロナ感染者では……?」と囁(ささや)かれながら帰路につきました。

会えぬまま祖父は帰らぬ人に

祖父も遅れて感染が分かりました。すぐに入院したけれど、血中酸素濃度が下がり、改善しないまま亡くなりました。

「感染している」という理由で見舞いも行けず、死に際にも立ち会えず、お棺の中の祖父の顔も見ることができませんでした。荼毘(だび)に付すときも近くに行けない、冥福は家で祈る。やっと会えたときには骨つぼに入った姿でした。

感染したら何もかもが不自由になる

感染したら、何もかもが不自由になります。「感染してもいい」「どうせ自分はかからない」そう思うなら想像してみてください。

たった一度感染したら家族の死に目に会えなくなる。たった一度感染したらお葬式すら満足にあげられない。たった一度感染したら家族すら非難される。

大げさに言えば、「家族を死なせていいなら」自由にしてください。家族を大切に思うなら、友達に迷惑をかけたくないならば、不自由を受け入れてください。

家族の死に目に会えず(写真はイメージ)

俺は今でも嗅覚に異常があります。家族も後遺症が残っています。自分ではなく、大切な人を念頭に置いて行動してください。感染経験者から言えることはこのくらいです。(高校3年・Link)

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