大けがを克服し、今夏U19ワールドカップ、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場した岩下准平(福岡・福岡大大濠3年)。将来を嘱望されるプレーヤーが歩んだ復帰までの道のりを聞いた。(青木美帆)
「おかしいな、ヒザが動かない」
昨年7月の練習試合。ドリブルで相手陣地に攻め入る岩下はゴールしか見ていなかった。
待ち構えるは3人のディフェンス。全員かわしてシュートを決めてやる……。2人目までを鮮やかに出し抜き、3人目を空中で強引にかわそうとしたら、着地に失敗した。
転倒した直後、膝(ひざ)に痛みが走った。「ひねったかな」と思いながら立ち上がろうとしたら、力が入らず、再びへたり込んだ。「おかしいな。ヒザが動かない」。嫌な思いが頭をよぎった。
病院に行くと、左足の前十字靭帯(じんたい)断裂という診断を受けた。競技復帰に要する期間は約1年。激しいジャンプやダッシュが必須のバスケットボール選手にとって、選手生命に関わるような大けがだ。
「やれることをやろう」すぐにトレーニング開始
「診断結果を聞いたときは、まずは手術が嫌だなって思いました。そのあとに、長い間バスケができなくなることを考えて、とてもつらくなりました」
岩下は当時の心境をこう振り返るが、すぐに前を向いたという。「起きてしまったことを考えていても仕方ないので、次の日には『やれることをやろう』と、上半身のウエートトレーニングをしていました。前から『ゴツくなりたい』って思ってたんで(笑)」
手術が終わった2日後からはリハビリが始まった。2カ月間にわたる入院生活が終わった後も日曜以外は毎日リハビリに取り組み、予定よりも早い10カ月で試合復帰を果たした。
リハビリと並行して継続したウエートトレーニングの効果で、体重は入院前から2キロ増。仲間たちから「ちょっと気持ち悪い」と言われるほどの筋肉を身にまとい、相手と接触したときに当たり負けすることが減った。
毎日ビデオ通話、仲間が支えに
大好きなバスケットボールを失った10カ月間、岩下は「歯を食いしばってがんばった」と言う。一人の時間を持て余した入院期間中や、仲間たちのプレーを見るだけだったリハビリ期間中、落ち込んだことも「多少はあった」ともらしたが、メンタルの激しい浮き沈みはなかったというのが本人談だ。
「『早くバスケがしたい』『とにかくリハビリをがんばろう』と思い続けられたのは、いろんな人がいつも支えてくれたからだと思います」
毎日、たあいのないビデオ通話に付き合ってくれた本山遼樹(3年)、入院や通院・通学に付き添ってくれた両親。チームメイト、顧問の先生……彼らの存在があったから、岩下は前を向き続けられた。
今できることを精いっぱい
けがからの復帰を果たそうとする全国の高校生アスリートたちに、岩下はエールを送る。
「長い長いリハビリの間にはつらいこともありますが、仲間や両親など復帰を楽しみに待ってくれている人がたくさんいます。下を向かず、今できることを精いっぱいがんばってほしいです」
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学校がある日のスケジュール
6:20 起床
7:05 体育館着。着替え、そうじを済ませて朝練開始
8:00 食堂で朝食をとる
8:50 授業開始
16:30 練習開始
19:00~19:50自主練
20:15 帰宅、夕食、入浴
21:30~22:30 寮生が集まって学習(現在はコロナ禍で休止中)
~23:30 リラックスタイム~就寝
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【一問一答】オフはホラー映画を見てます
―好きな食べ物は?
牛タン、お菓子。甘いものもしょっぱいものも好きです。
―好きなアーティストは?
TWICEです。
―オフの過ごし方は?
寮の談話室で映画を見ます(主にホラー系)。
―好きな教科は?
体育。
―苦手な教科は?
歴史などの暗記系科目です…。
―憧れの選手は?
ルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)。けがをしてからは、同じ前十字靭帯断裂から復帰したデリック・ローズ(ニューヨーク・ニックス)の動画もよく見るようになりました。
―ルーティンは?
試合会場への移動中に音楽を聞きます。
岩下のマストアイテム3つ「生活必需品です」
・練習後に体を拭くボディシート
・ワイヤレスイヤフォン
・お財布
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プロフィール
岩下准平(いわした・じゅんぺい)
2003年4月2日生まれ、福岡県古賀市出身。ポジションはポイントガード。小学3年生からバスケを始める。7月には大学生主体のU19日本代表に選出され、ラトビアで開催されたワールドカップに出場し、「きちんとチームを組み立てられるポイントガードの必要性を痛感しました」。179センチ77キロ。