大学の推薦入試の合否を左右する「評定平均」。私も推薦を視野に入れており、評定平均を上げようと努めています。一方で、私はこの数値の決め方に対して複雑な気持ちを持っています。(高校生記者・Haly=3年)

先生によって「5」の取りやすさが違う

まず、先生によって「5」の取りやすさが違います。

ある程度の点数を取れば5をつけてくれる先生もいれば、なかなか5をくれない先生もいます。また、授業の質も先生によって大きく異なります。

私の学校では、同じ科目でもクラスによって先生が違う場合があり、ある時は定期テストのクラス別平均点に20点以上の差が生じました。評定はテストの点数に左右されます。生徒ができる限り良い点数を取ることは前提ですが、実際に高い評定を取れるかどうかは「先生による」というのが現実です。

評定のために簡単なクラスを選ぶ

生徒の意識も低下します。例えば難易度ごとにクラス分けがある教科で、大半の生徒は高い評定を取るために簡単なクラスを選ぼうとします。

英語教育に力を入れる私の学校では英語のクラス選択がありますが、多くの生徒は成績への不安から、無難な下のクラスを選ぼうとします。

こうして評定に縛られると、学校で勉強をする目的が「評定のため」となってしまい、自らの学びにならないという本末転倒な事態が起こっています。

生徒は挑戦する機会を失っているのでは

この主張は、高い評定が取れないことに対する言い訳だと捉えられるかもしれません。確かに数字は物事を客観的に判断するために適切な材料です。しかし、その評価をつけているのは「先生」という肩書を持つ「人間」であり、評定には必然的にその人の価値観が影響します。

推薦入試において、評定平均で生徒の合否を判断することがナンセンスだとまでは言いませんが、この仕組みで生徒が挑戦の機会を失いかねないこと、また通知表の数字には生徒がどうにもできない事情が潜んでいることもあるということを理解してもらいたいです。