私の母は、難病に指定されている「膠原(こうげん)病」を患っています。これは免疫の病気で、本来ならば体を守る働きのはずが、自身を攻撃してしまうものです。母に寄り添ってきた私が感じていることを伝えます。(高校生記者・ひよこ=2年)

長年難病と闘う母と暮らして

皆さんは「難病」とは何かをご存じですか? 人口の約1パーセントというとても珍しい病気で、明確な治療法が発見されていない原因不明のものが、難病に指定されます。

私の母は、12年前に膠原病を発症しました。はじめの頃は微熱が続き、その後急激に痩せ始め、筋力が低下して手足に力が入らなくなりました。

母は12年前に膠原(こうげん)病を発症した(写真はイメージ)

当時の私はまだ幼稚園に通っていて、母の身に何が起きているのか分かりませんでした。約3カ月の入院生活が続き、私は毎日不安と寂しさで胸が苦しくなったのをぼんやりと覚えています。

足腰が悪い母の代わりに家事を手伝い

現在、母は服用中の薬の副作用で新たな病を発症しました。大腿骨が壊死したため足腰が悪く、家事をこなすことは難しい状態です。つえを突いて歩けますが、ベッドで寝ていることが多いです。

少しでも苦しみを和らげるために、私は何をすればいいのか。私や家族は洗濯、皿洗い、料理などの家事をしています。母は私たちに感謝してくれていますが、時々気分の浮き沈みが激しくなるときがあり、怒鳴ったり泣いたりすることもあります。

母の苦しみを理解するのは難しいけれど…

母は昔、一度だけこうつぶやきました。「私の苦しみは、絶対に理解してもらえない」と。

この言葉を言わせてしまったことを私は今も後悔しています。私が母の手伝いをするのを「面倒くさい」と思ってイライラし、態度に出てしまったのがきっかけでした。「私自身が母と同じ病気になればこのつらさがわかる」のだと、母は伝えたかったのだろうと思います。

自分にできることには限界があると、何度も痛感させられます。病気の不安や恐怖、痛みは患者本人にしかわかりません。ですが、母の病気は私にとって決して「人ごと」ではないし、理解することを諦めたくはありません。私にできることを、これからも積極的に手伝っていきます。

できることをこれからも続けていきたい(写真はイメージ)