読者の高校生のみくみんさんは、親がある宗教を信仰しています。小さいころから強制的に教理を勉強させられていたそうです。考えがはっきりしていない子どものうちから、宗教の世界に閉じ込めないでほしい…高校生の今、思うことを寄せてもらいました。

私は宗教を家族に押し付けられた子ども

日本では信教の自由が保障されていて、人が自らの意思で自ら選んだ宗教について学んだり、入信したりすることは、問題のあることではありません。

でも、世の中には、他の人の押し付けによって、宗教を学ばせられる人もいます。それは、信者を親にもつ子どもたちです。「教育」という名目によって、子どもたちの信教の自由はたびたび無視されています。

日本では信教の自由が保障されているが……

教えに従わないとお尻を叩かれて

私は物心ついたときには、週に2、3回の集会や布教活動などへの参加により、宗教を基軸にした生活を送っていました。教えに従わないとむちでお尻を叩かれたりしました。

教えに従わないと…(写真はイメージ)

また、信者以外の人は邪悪な道に導く可能性があるため、必要以上に関わらないようにと教えられました。ほかにもいろいろな禁止事項があり、それらの「教育」によって、私は自然とその教えこそが真理であると思うようになっていきました。

見透かされてると感じる恐怖、罪悪感

学んでいくうちに納得できないところは見つけていました。ですが、集会に参加して講演を聞くたびに、周りの環境に流されて、のみ込まれてしまっていました。そして、そのたびに罪悪感と、「こんな私の心を神に見透かされている」という恐怖を覚えていました。

世界の終わりに、信者は楽園や天に行って永遠に生き、信者以外は滅ぼされるという教えがあったので、それに対する恐怖もあったのかもしれません。

留学がきっかけで考えが変わった

そんな私が宗教を離れるようになったのは、留学のおかげです。

私の親は信者の中では珍しく教育熱心で、私は留学の機会を得ることができました。留学中は集会に参加していなかったので、進路を考える時期でもあった私は、なるべく外部の影響を受けずに落ち着いて自分の人生について考えてみました。

その後、自分の感じている宗教についての疑問を、知り合いの年長の信者にぶつけてみたんです。ですが、満足のいく回答を得ることができませんでした。

宗教から離れるのは人生を否定するようで苦しい

子どものころから信じていた、世の中の真理だったはずのものを否定するのは、それまでの人生を否定するように感じて苦しかったです。人は永遠に生きることはできない、ということを受け入れるのも、非常に難しかったです。

それでも私は悩んだのちに、帰国後には勇気を出して宗教活動をやめていきました。やめたいという意思を親に告げたあと、何回も一緒にその決断について話し合ったのですが、そのときの親の悲しげな表情が今でも忘れられません。

信者以外とは結婚できず、正社員も「良くない」

確かに、宗教を受け入れるかどうかの最終的な決断は本人に委ねられていますが、果たしてこの「教育」は、子どもたちの信教の自由を尊重していると言えるのでしょうか。

私は何度も、小学生の小さな子どもが、他の信者に勧められたりして、神に献身するのを見てきました。

私の信じていた宗教では、一度儀式を経て信徒となった者が宗教上のルールに逆らい排斥されると、信者とは家族であっても連絡を取ることができずに、絶縁状態になってしまいます。つまり、人間関係を全て失ってしまいます。

排斥されると人間関係を失う

高等教育を受けたり正社員になったりするのも、宗教活動に専念できないためあまり良しとされておらず、女性の割合が圧倒的に多いのに信者以外とは結婚してはいけなかったりと、いろいろな制限がありました。

親は私を理解してくれた

私は儀式を経ていなかったので、排斥されませんでした。

そして私の親も、私との話し合いというか必死の説得が考え直す機会になりました。私がやめたことで組織内でいろいろあったようで、今では神を信じてはいるものの組織に不信感を持つ不活発な信者になっています。

そのため、私の気持ちを今は理解してくれていて、気づかせてくれた私に感謝していると話していました。今、親との関係は悪くはありません。

親とは何度も話し合った

子どものうちから宗教に閉じ込めないで

私はどうしても親が、まだ考えがはっきりとしていない子どもを宗教のコミュニティに閉じ込め、思想、そして信者として神に仕える人生を押し付けているように感じます。

私の体験は極端な例かもしれませんが、幼い子どもにとっては、大人の言うこと、親の言うことは絶対的に正しいということを忘れないでほしいです。

もちろん親も、子どものためを思って、このような「教育」をしているのだと思います。ですが、それは本当に子どものためになっているのか、思想、そして善意の押し付けになってはいないか、もう一度考え直してみてほしいです。宗教は趣味などという軽いものではなく、良くも悪くも人生を変える大きな存在です。

親が「教育」するのではなく、子どもがさまざまな知識を持ち、自分で自分の人生を決められるようになってからの自発的な選択に任せてみてはどうでしょうか。(みくみん=3年)