誰かから言われた一言が、いつまでも気になってしまうことはありませんか? 高校生記者の梨子さんは、志望高校に落ちたときに祖母に言われた「ある一言」に、ずっともやもやした気持ちを抱いてきました。最近になって思い切って祖母に真意を尋ねた経験を話してくれました。
「不合格で良かった」祖母の言葉がひっかかり
2020年2月、私は第一志望の高校に落ちました。
「不合格」の文字。その学校には見合わない者という烙印を押されたような気がしました。
祖父母の家で学校の先生に連絡をした後、「やっぱり諦められない」というような気持ちが自分の中にあふれてきて、泣きました。
「私はこれでよかったと思うよ」
祖母に、そう言われたのです。私は何も言いませんでした。この言葉が、胸の中にずっとつっかかったままなのです。
気まずい…私のことが嫌いなの?
「やはり、祖母の目には、私の頑張りは足りていないように見えたのではないか」
そう思えてならなくて、勝手に気まずさを祖母に会うたびに感じました。「もしかしたら、祖母は私のことがどこか嫌いなのかもしれない」と考えたこともあります。
半年以上たった今、この気持ちを整理しようと思いたちました。「祖母の言葉の真意を聞く」という決断をしたんです。
これは、私にとってやはりとても怖いものでした。
「思いつめてほしくない」祖母の優しさだった
真意を確認しようとしました。
「祖母は覚えていないというかもしれない」「その言葉を気にしていたことがバレたら祖母にも気を使わせてしまう」
いろいろなことが混ざって、最終的に祖母に話を出したときも「えっと」がたくさんたくさん出てきてしまいました。
そんな私の問いかけに、祖母も「なんていうんだろうね」と繰り返しながら、「あんまり思い詰めてほしくなかったのだ」と、そう伝えてくれました。少し、むずがゆさが収まるのを感じました。
真意を聞くのは、怖いけれど
相手の言動に対して、もやもやすることは、みなさんあると思います。
「なぜ(相手は)そんなことをしたのか。言ったのか」と、嫌な考えで頭がいっぱいになって、苦しく感じるようならば、無理に振り返る必要はないと思います。
真意が分からない言葉を相手からかけられた場合、直接「どういう意味か」を聞くことは、かなり怖いです。会話の中で「相手の言葉の真意を質問する」ということもまた、難しいと思う人も多いのではないでしょうか。
ですが、何かを学ぶためには、「困難に自分からぶつかっていく」ことが大切だと、私は考えます。困難にぶつかるエネルギーは無駄ではないんです。
思い切って聞いてみてよかった
ですが、確認をしないことが、自分にとって「モヤモヤしたもの」になってしまうかもしれないのなら、思い切って聞いてみるのは、有効な手段の一つです
そのときは良いこととは思えないことが、後になって良かったことのように感じるのはよくあります。
私は今、「この高校に入れてよかった」と思い、とても満足しています。そして、私とこの高校との縁を信じてくれた祖母に、改めて反省と感謝を感じることができました。(高校生記者・梨子=1年)