大林組の田渕成明さんは昨年5月22日に開業し、東京の新しいシンボルとなった東京スカイツリー®の工事事務所作業所長を務めた。田渕さんは大阪市立都島工業高校出身。工業高校の先輩・田渕さんのものづくり人生の軌跡と、みんなに送ってくれた熱いメッセージを紹介! (文・写真 舟木秀司)

田渕さんは、将来は建物を造る仕事に携わりたいと思って大阪市立都島工業高校建築科に入学した。

時は日本万国博覧会(大阪万博)が開催された1970年。高度経済成長と万博で活気あふれる大阪では、道路や橋が整備され、巨大なビルがどんどん建っていった。そのような時代の中で、田渕さんも、将来は大手建設会社に就職して大きなビルを建てたいと思うようになった。

 大手建設会社で、日本を代表するゼネコンの1つである大林組に就職したのは73年。その年の新入社員は約500人で、高卒と大卒がほぼ半々だったという。

 


 鉄骨や鉄筋コンクリート造りの大きなビル建設に携わるためには1級建築士の資格が必要と考えた田渕さんは、3年の実務を経て2級建築士を取得し、その4年後には1級建築士試験に1回で合格。さらには施工管理技士、コンクリート技士やCFTの資格も順次取得していく。
 「資格を取得し、自分のスキルアップを図りながら一生懸命に仕事をすれば、大卒でなくても責任あるポジションに就けると思って頑張りました。

そして2008年、東京スカイツリーという、大きな仕事が巡ってきたのだ。 大きな建設プロジェクトを動かしていくとき、そこには必ず解決しなくてはならない課題がある。東京スカイツリーの場合、建設予定地の周りは下町の住宅地であり、その限られた敷地で今までに経験のない634㍍のタワーを、厳しい工期内でいかに効率よく、しかも安全と品質を確保しながら完成させるかが課題だった。

タワーを下から順に組み上げていくと、限られた人員でしか組み立てられず、完成までの時間がかかりすぎる。どのような工法を使えばいいのか。東京スカイツリーの担当チームは、課題解決・目的達成に向けて話し合いを重ねていった。そして、最終決定された工事を推進するのが、施工管理責任者である田渕さんだった。

スカイツリーには、さまざまな最先端の建築工法が導入されている。中でも画期的なのが、最上階のゲイン塔に採用した「リフトアップ工法」だ。心柱工事前、空洞になっているタワー内の地上部で、ゲイン塔の最頂部から組み立て始め、引き上げながら順次下に鉄骨を継ぎ足して造る。完成後、タワー内部のワイヤーで高さ634㍍まで引き上げていく。 「これにより、500㍍を超える未知の高さでの鉄骨組み立て作業が省略できました。第1展望台(350㍍)から上のタワー本体の組み立てと並行して、安全な地上部でゲイン塔の組み立てが行えるため、大幅な工期の短縮ができたのです」

田渕さんは東京スカイツリー完成後、出身校の都島工業高校に招かれた際、後輩たちにリフトアップ工法の話をしたそうだ。

田渕さんは今、大林組の東千葉メディカルセンター工事事務所長を務めている。

「東京スカイツリーもそうでしたが、どのような工事でも、近隣の生活環境に配慮し、丁寧に説明をして理解と協力を得ていくことが求められます。その先頭に立って、地域の方々にお話ししていくのも私の役目なのです」と田渕さんは言う。

後輩の工業高校生に向けては、「目の前の壁を打ち破るには、受け身ではなく自分で考えることが必要。どんなことでも工夫して、人と話し合うことが大事だ」とアドバイスする。 コンピューターの時代になっても現場・職場では想定外、予想外のことが起きる。それらを解決するのはコンピューターではなく、そこで工事に携わっている人間の力なのだ。 「その力の基盤を高校時代に培ってほしい」と、田渕さんはエールを送ってくれた。