12月29日、第72回全国高校バスケットボール選手権(ウインターカップ)男子決勝が武蔵野の森総合スポーツプラザ(東京)で行われ、福岡第一(福岡)が福岡大学附属大濠(福岡)を破り、2年連続4回目の優勝を果たした。昨年度のウインターカップ、夏のインターハイに次ぐ、3大会連続の全国制覇。福岡第一の強さは、この冬もまったく揺るがなかった。(文・青木美帆、写真・幡原裕治)

最強チーム、影の立役者

同県対決となった決勝の福岡大学附属大濠戦では、司令塔兼エースの河村勇輝(3年)がコンディション不良で本領発揮とはならなかったが、それでも一度もリードを譲ることなく75-68で勝利を収めた。

河村勇輝

この試合は、河村、小川麻斗、クベマ・ジョセフ・スティーブ(すべて3年)の3本柱が、数字面で圧倒的な実力を見せた。

河村が得点、アシスト、リバウンドの3部門で2ケタを記録。クベマも得点、リバウンド、ブロックの3部門で、小川麻斗(3年)は得点とリバウンドの2部門でこれを達成している。

クベマ・ジョセフ・スティーブ

しかし、今年度だけで福岡第一と9回対戦した福大大濠の片峯聡太コーチが、福岡第一の強みとして挙げたのは、数字ではさほど目立ったもののない内尾聡理、神田壮一郎(ともに3年)だった。

偉大な先輩が抜け危機感

内尾はエースキラー。決勝では福大大濠のエース・横地聖真(3年)をマークし、その得点を1ケタに封じた。

内尾聡理(青木美帆撮影)

神田はシューター。得意の3ポイントシュートが入らないときも、すぐさまリバウンドに走り、オフェンスの流れを持続させた。

神田壮一郎

内尾と神田はともに、昨年度のチームではほとんど出場機会のない選手だった。彼らのポジションであるフォワードには、松崎裕樹(現・東海大1年)と古橋正義(現・日本体育大1年)という優れた先輩がいたからだ。

昨年度のウインターカップを制したあと、ダブルキャプテンを務める河村と小川は口をそろえて「松崎さんと古橋さんが抜けるのは痛い」とコメント。内尾と神田にも、自分たちは先輩たちに劣るという自覚はあったが、一方で「主力が3人残ったからといって、3人でバスケはできない」(内尾)という意地もあった。

新チームが始動するにあたり、両主将から「先輩たちのようになろうと思わず、自分らしくやったらいい」という励ましを受けた2人は、「自分に何ができるのか」を考えながら、自らのプレーを模索していった。

誰よりも早く練習場へ

神田は、チームの核となる速攻。「フォワードが他のポジションの誰よりも走るのが福岡第一のスタイル。松崎さんや古橋さん以上に、40分間全力でコートを走り切ることを心がけてきました」

内尾は、「スタメンの中で自分が一番へたくそ。それでもスタメンでいるからには努力しなければ」との思いから、誰よりも早く体育館に行き、オフの日も自主練を欠かさなかった。「そういう生活を数カ月だけでなく3年間続けられたことを、自分でとても誇りに思います」と振り返った。

内尾聡理(青木美帆撮影)

「先輩超える働き」

新チームが始動した当初、井手口孝コーチが「余裕がないはずなのに、のんびりしたところがある」と2人に苦言を呈する場面もあった。試合経験の浅さから自分らしさをうまく発揮できない様子に、カミナリを落としたことも何度もあった。しかし、最終的には「相当苦しんだと思うけれど、去年の2人を超える働きができるようになったんじゃないかな」と2人のがんばりをたたえた。

両チームお互いをたたえた

内尾が言うように、バスケットは5人でプレーするスポーツだ。「チーム」という一枚絵を完成させるため、2人はぽっかりと空いた2つのピースを「自分らしいカタチ」で埋めた。それが今季、公式戦無敗という偉業を成し遂げた福岡第一の強さだった。

【チームデータ】
1994年創部。部員77人(3年生31人、2年生19人、1年生27人)。おもな卒業生に並里成(琉球ゴールデンキングス)、鵤誠司(宇都宮ブレックス)など。同校と福大大濠が全国大会で対戦するのは3度目。ようやく勝利を飾った。
福岡第一のメンバーたち