年秋のプロ野球ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスに9位で指名された今野龍太(宮城・岩出山3年)=宮城・岩出山中出身。部員が足りず、毎年秋の大会には出場すらできなかった無名校のエースが、地道な努力を重ねてプロ入りを果たした。(文・写真 阿部理)

遠い夢だったプロ野球の世界

昨年10 月24 日のドラフト会議。名前が呼ばれたのは、全球団最後となる76 人目だった。「諦めかけていたので、呼ばれた時はうれしかった」。学校で一緒にテレビ画面を見つめていた先生や仲間から歓声が上がり、祝福のメールが次々と届いた。帰宅すると、母親も号泣して喜んでくれたという。

小学2年生で野球を始めて以来、投手一筋。中学校の地区大会ではノーヒットノーランを記録した。高校は県内の強豪校に進むことも考えたが、地元の岩出山に入学。「プロへの夢はありましたが、漠然としたもの」。卒業後は就職するつもりだった。

部員不足で退部も考えた

同校は全生徒が300 人にも満たない小規模な学校。野球部は慢性的な部員不足で、3年生が抜けた秋の公式戦は、毎年欠場が続いている。2012 年の秋も部員は5 人だけ。2年生だった今野は「試合に出られないなら」と一度は退部も考えた。しかし「来年あと1人いれば出場できたのに、となったら仲間に申し訳ない」と思いとどまり、最後の夏に備えて体づくりに努めた。

昨春の入学式の日は、チラシを配って部員勧誘に奔走し、7人が入部。公式戦出場が可能となった。「予想以上の人数でうれしかった」

春の県大会は初戦敗退だったが、140㌔超えの伸びのある直球で注目を集めた。さらに夏の県大会2回戦では16 奪三振でノーヒットノーランを達成。冬場の努力が実を結び、ドラフト候補の仲間入りを果たした。

150㌔の速球が第一目標

高校時代の一番の思い出は、「現在のメンバーと野球ができたこと。この高校に入ったから、今の自分がある」と振り返る。大切にしている言葉は「努力」。その積み重ねが「プロ入りにつながった」と考えている。相原正美監督(50)も「今野の良さは、目標に向かって真面目に努力するところ」と話す。

毎朝、部員全員で行っている学校周辺のごみ拾いで、地域の人から声を掛けられるようになった。「野球を辞めなくて良かった。早く一軍に上がり、活躍する姿を地元の人たちに見せたい」 プロでの目標は、150㌔を出すこと。田中将大のようなエースを目指すことを誓った。

こんの・りゅうた
1995 年5 月11日、宮城県生まれ。昨年夏の県大会2 回戦、米谷工戦で宮城県大会史上27 人目のノーヒットノーランを達成。右投げ右打ち。最速143 ㌔。177㌢、70㌔。