ロンドン五輪ボクシング・ミドル級で金メダル獲得後、プロに転向した村田諒太。南京都(現・京都広学館高校)入学直後の敗戦で挫折を味わったが、ひたすらボクシングの練習に打ち込むことで克服した。 (田坂友暁)
嫌になって逃げた
アマチュア時代から無類の強さを誇るが、キャリアのスタートとなった高校1年のデビュー戦で、手痛い敗戦を喫している。
「中学の時からプロボクサーのいるジムでトレーニングをしていましたし、高校生には負けないという気持ちがあったんです」。自信とプライドが一気に崩壊し「嫌になって(部活動から)逃げました」と振り返る。
そんな時、恩師である故・武元前川監督が、怒ることもなく、何も言わずにレールから外れそうになった村田を部に戻してくれた。「監督には『たった1回負けたくらいで何を言うてんねん』という気持ちがあったかもしれません。でも何も言わずに、練習を続けさせるように促してくれました」
部に戻ったものの、負けたショックは大きく、辞めようと思った日もあった。それでも迷いを振り切り、何も考えずにただひたすら練習を積み重ねた。その結果、1年時に全国高校総体(インターハイ)と国体で決勝まで勝ち進むことができた。確かな自信を取り戻し、高校5冠を達成するまでに飛躍した。
ボクシングでしか解決できない
高校初戦の敗北から得たものは「継続することの大切さ」だった。「嫌でもつらくても、とにかく続けたことで、さまざまな経験を得られた。その経験が結果につながり、自信になったんです」
一つのことを続けていれば、必ず壁は現れる。この壁を乗り越えるためには、継続するしかないと悟った。「ボクシングの悩みは、やっぱりボクシングでしか解決できない。続けることでしか結果は出ないんです」
行動しなければ結果も出ない
村田には好きな言葉がある。チャールズ・チャップリンが残した『行動を伴わない想像は無意味だ』という言葉だ。「やりたいな、できたらいいな、というだけでは、何も生まれません。目標や夢のために行動して、それを継続して、初めて成果が出る」
高校時代の敗戦から学んだことを胸に、村田は世界王者という夢をかなえるための練習を続けている。
むらた・りょうた 1 9 8 6 年1 月12 日、奈良県生まれ。高校時代はインターハイ・国体など5冠を達成。アマチュア時代の戦績は1 3 8 戦1 1 9 勝( 8 9 K O ・R S C )19 敗。プロ転向後の戦績は4 戦4勝(8月20 日現在)。182センチ78キロ。