SNSが普及し、個人の意見を誰でも簡単に発信できるようになりました。だからこそ、一つひとつの言葉がどんな影響を与えるかを、改めて考えてみてほしいと思います。(高校生記者・そもそも=2年)

言葉を正しく使えている?

「何気ない言葉に傷つくくせに あなたこそ正しく言葉を使えないでいる」

Mrs. GREEN APPLEの「breakfast」の歌詞の一節です。初めて聴いた時、「まさに自分のことだ」とハッとさせられました。SNSで目にする心ない投稿に傷ついていたけれど、自分も「正しく言葉を使えていたか?」と問われたら、答えに詰まります。

電子辞書で脳死を検索してみた

「脳死で勉強した」軽々しく使っていいの?

例えば、「脳死」という言葉です。友人の間では、何も頭で考えず、流れ作業のようにとりあえず手を動かしていた、というようなニュアンスで「脳死でテスト勉強した」などと使われることがあります。しかし本来「脳死」は「脳全体の機能が完全に失われた状態」で、生命の終わりを示す重い医学用語です。「命に関わる言葉を軽々しく使ってよいのか」と、疑問に感じます。

「地雷踏んだ」本来の意味が薄れてしまう

同じように「地雷」という表現にも注意が必要です。黒やピンクを基調としたダークなファッションを「地雷系ファッション」と呼んだり、相手の触れてほしくない部分を突いてしまった時に「地雷を踏む」と言ったりする用法が広まっています。しかし、本来「地雷」は戦争で使われる爆発物で、危険で悲惨な現実と結びついています。

私も言葉の意味をよく考える前までは、友達に「〇〇さんに~って言ってしまって、地雷踏んでしまったわ」などのように使っていました。こうした言葉がカジュアルに使われると本来の意味が薄れ、苦しんでいる人の気持ちに無意識で踏み込んでしまう恐れがあると感じます。

「地雷系」として紹介されがちなファッション

自由だからこそ責任を持ちたい

「傷つけるつもりはなかった」という気持ちでは済まされない場合もあります。自由に発信できる時代だからこそ、使う言葉には責任が伴うことを意識したいです。

何気なく使っている言葉の中に、誰かの心を深く傷つける表現が含まれていないか。今一度立ち止まって考えてみることが必要だと思います。言葉は思っている以上に力を持っています。その力をどう使うか、もっと丁寧に考えていきたいです。

そもそも 京都府在住。サンリオ、リラックマ推し。好きなアーティストはMr.Children、お笑いが好きで、半年に1回くらいのペースでお笑いライブに行っている。