先輩たちが製作した動力付き小型有人航空機(実機)が、本当に空を飛べることを実証したい。名古屋市立工業高校・飛行機同好会の8人は、そんな思いを胸に実機をスケールダウンした模型飛行機の製作に青春を懸けている。改良と調整を繰り返し、ついに完成した私たちの模型飛行機よ、さぁ、みんなの夢を乗せて飛べ! 
(文・写真 白井邦彦)

1939(昭和14)年に設立された名古屋市立航空工業学校の流れをくむ名古屋市立工業高校。2010年度から3年間にわたり、航空機産業の次代を担う人材育成を目指した「飛行機プロジェクト」を実施してきた。その一環として、実機を製作した。だが、完成した実機は重量制限をオーバーしたため飛行許可が得られず、その志はラジコン操縦が可能な縮尺模型機に託されることになった。

同好会は、2012年のプロジェクト終了後にも校内で同様の取り組みが継続できるようにするために発足。OBらの思いを引き継ぎ,現在に至る。同校OBで模型機に精通する加藤正巳さん(65)のアドバイスを受けながら、模型機の飛行実証に向けて改良と調整を進めてきた。現在の同好会メンバーで唯一、実機の製作に関わった部長の坂怜奈さん(2年)は「先輩たちが真剣に実機を作っている姿を見てきたし、工具や工作機械の使い方も教えてもらった。先輩たちのためにも絶対に模型機を飛ばしたい」と話す。

今春行った模型機の飛行テストでは、助っ人の加藤さんから「主翼の強度が足りないので飛ばない」と厳しい指摘を受けた。主翼の材質を再考し、スタイロフォーム材をやめ、軽くて強度のある木材のパルサで骨組みから作り直した。幼いころから飛行機が好きで同好会の門をたたいた山内敦司君(2年)は「翼を作り直すだけで約2カ月。やっと完成したと思ったら今度は他の課題が出た。一つ課題を解決すると、別の課題が出るという日々の繰り返し。本当に飛ばせられるのか不安になったこともあった」と言う。

というのも、同好会メンバーが挑んでいる飛行機のスタイルは、模型機と図面しか残されていない明治時代に考案されたもの。ライト兄弟が世界で初めて有人飛行に成功するよりも前に、飛行研究家・二宮忠八が設計した玉虫型飛行器だけに未知の部分が多い。あえて難しい機体を選んだ理由について、顧問の宮崎健太先生(35)は「現行機を真似るよりも、資金さえ整えばライト兄弟より先に飛んだかもしれない伝説の玉虫型に挑戦するほうが,飛行実現の夢がより大きい」と言う。チャレンジ要素の多い目標設定から、より多くを学んでもらおうという狙いもあったようだ。

新入部員の小島健太郎君(1年)は「将来、人工衛星を作りたいので、少しでも工具を扱う技術を身に付けたくて同好会に入った。飛行機の知識が乏しく、先輩についていくだけで必死だけど、この経験は必ず役に立つはず」と、やりがいを感じている。

取材時点で模型機はまだ調整中。坂さんが「一度も飛んだことがない」と説明する機体が、無事にテイクオフしたかどうかは、密着取材中の『ティーンズプロジェクト フレ☆フレ』(NHKEテレ)で明らかになる? きっと夢を乗せて飛んでいるはずだ。

飛行機プロジェクト 2010年に始まった「飛行機プロジェクト」は、中部科学技術センターと名古屋市科学館との共同事業として1人乗り小型航空機を製作。初年度は経済産業省の「航空機産業の次世代を担う工業高校生育成事業」、11、12年は名古屋市教育委員会の「特色ある教育」として実施。この実績を引き継ぐために飛行機同好会が設立された。