AI技術が急速に発展し、2045年には性能が人類の知能を超えるとも予測されている。AIと人との関わりやあり方に詳しい哲学者の出口康夫先生(京都大学文学研究科長・文学部長)に、AI時代に文学部の学びがどう貢献するか聞いた。(野口涼)
AI研究の「頭打ち」乗り越える発想を
―文学部で行われている研究は、AIが台頭する時代にどう影響を与えるでしょうか。
AI研究もある方向に進み続けると、いずれ「頭打ち」になるときがきます。実際、AI研究は、そのような「氷河期」を何度か経験してきました。そんなときには、それまでと発想を変えて、今までになかった「斜め上」の方向性を探ることで壁を乗り越え「ブレイクスルー」をはかることが重要になります。縛りがなく自由な発想のもとで展開された真に文学部的な研究は、そのような「脱氷河期」の模索に役立つかもしれません。
―高校生にとってchatGPTは身近なAIです。
chatGPTなどの生成AIは、統計的にもっともありそうな文章を出すことしかできない「中庸・平凡な秀才」にすぎません。それはまだまだ「統計的に平均的なことしか言えない」という限界を抱えているのです。このような生成AIが次にどの方向へと向かうべきか。今後は、それが問われると思います。
技術者とタッグを組み、未来のAIに対して斜め上の発展の方向性を示す。文学部で研究されている人文学は、そのような役割を果たせるかもしれません。「斜め上」の道を見出すこと、ブルーオーシャンを探検することは、ビジネスや起業においても重要なことです。従来のシステムや規則にとらわれない自由な発想を得意とする人文学の達人は、そのような方面でも活躍できる可能性を秘めています。
「AIによって失われる価値」見つけ、守るべき
―AIの台頭で仕事が減るとも言われています。
現在のAIでも平均的な結果は十分に出せます。なので「平均的な仕事」が今後AIに置き換えられていく可能性はあるでしょう。そのような状況を踏まえ、今やるべきことは、AIに置き換えることで失われてしまうものを見つけて、守ることだと思います。
新しい技術が登場することで、伝統的な技能が途絶えた後に、その真の価値が判明するということは過去にも繰り返されてきました。取り返しのつかないことにならないうちに、現行のAIでは代替できないことを掘り起こしておくことが重要です。
人間の価値は「一人ではな何もできないこと」
―出口先生は専門の哲学を通して、AI時代に人間の新たな価値を見出そうとされていますね。
ここからは私自身の哲学の話になります。これまで人間は「できること」、特に「知的にできること」に自らの尊厳を見いだしてきました。しかしその肝心の知性がAIに凌駕されるとなると、もはや人間の尊厳や自尊心を保てなくなってしまう。このような状況を私は「人間失業」と呼んでいます。
―人間失業を防ぐことはできるのでしょうか?
人間失業を防ぐには、人間の価値を「できること」ではなく、「できなさ」に置き換えるのも一案です。私は、むしろ「できなさ」にこそ人間の尊厳や「かけがえのなさ」があるのではないかという発想の転換を提案しています。。
人間は一人では何もできないからこそ、いろいろな人や生き物や人工物と一緒に「われわれ」として生きている、いや、生きていかざるをえない。人間は生きて行為をしている限り、たとえ一人ぼっちだと思ったとしても、実は、多種多様な存在からなる「われわれ」の一員として暮らしている。そしてこの「われわれ」にとって「わたし」は「かけがえのない」存在です。「わたし」がいなければ、「われわれ」は単なる「あなたたち」「彼ら」「それら」になってしまいます。「できない」からこそ、「われわれ」の一員となり、そのことで僕らは「かけがえのなさ」を失わずに生きていける。このような哲学的提案に興味を持たれた方は、さまざまなメディアで展開されている哲学的コンテンツに触れていただければと思います。
出口康夫(でぐち・やすお)
1962年大阪市生まれ。大阪府立茨木高校卒、京都大学文学部卒、同大学院博士課程修了。研究分野は、近現代西洋哲学、分析アジア哲学。近年は、「できなさ」に基づいた人間観・社会観として“Self-as-We”(われわれとしての自己)を提唱。著書に『京大哲学講義 AI親友論』(徳間書店)など。2024年4月より京都大学文学研究科長・文学部長。