「文学部」は、文学作品の研究はもちろん、歴史や文化、哲学など幅広く学ぶことができる。どう授業が展開されるのか、どんな力を磨くことができるのかについて、京都大学文学研究科長・文学部長の出口康夫先生に聞いた。(文・野口涼、写真・京都大学提供)

「他者の考え・生活」を追体験できる

―文学部では何が学べますか?

皆さんは文学部について「小説などの文学作品を読んで研究するところ」というイメージを持たれているかもしれません。確かに文学作品の研究も行っているので、それも部分的には正しいと言えます。ですが、実際には「人文学(humanities)」という大きなくくりで、哲学や歴史なども含めた幅広い分野の研究・教育をしています。京大文学部もそうですが、大学によっては、人間科学や社会科学を文学部で研究しているところもあります。

―化学や物理学などの「科学」と、「人文学」との違いは何でしょうか。

科学は、自然現象や社会現象を研究して、その規則性やメカニズムを明らかにすることを目指しています。一方、人文学は、「幸せとは何か」「良い社会・人生とは何か」といった唯一の正解のない価値に関する問いに対して一定の提案を行うことを目指す学問です。

人文学に含まれる学問の例

我々は文学作品を読み解いたり、歴史や哲学を学ぶことで、「他者の生(せい)」を生きることができます。それは他者の考えや生活を客観的、第三者的に知るということではなく、想像力を駆使し、バーチャルリアリティを体験するように、他者の視座に立ち、その人生を自分ごととして、一人称的に追体験するということを意味します。そのことを通じて人生の意味や価値についての考えを自分の個人的体験の枠を超えて広め深めることができるのです。

面白い「問い」を見つける

―文学部の授業はどう展開されますか?

各研究室―京大文学部では「専修」と呼んでいますが―ごとに、「講義」「研究」「演習(ゼミナール)」がセットで開講されています。「講義」では、広い視野から学問の一般的状況について語られます。たとえば私は「哲学概論」という講義を担当していますが、そこでは近現代の様々な哲学者の考えを批判的に検討しています。一方で、大学の先生は教員であると同時に研究者ですから、皆さん悪戦苦闘をしながら自分の研究を推進しています。その研究の現場を学生に見せるのが「研究」という授業です。

講義や研究で学んだことを踏まえ、京大文学部では3・4回生時から専修に分属し、「演習(ゼミナール)」で自分の研究発表を行うようになります。

京大文学部では、すべての学生に卒業論文が課されています。演習での発表に対して、その都度、先生や他の学生からコメントや助言をもらうことを積み重ね、その成果を最終的には卒業論文へと結実させていくのです。

―卒業論文を書くことを通して、どんな力が身につきますか。

論理的な思考力と知的な言語表現力が身につきます。私が卒論指導において教えてきたのは、「リサーチによって仕入れた情報から自分がいちばん面白いと思える『問い』を立て、それに対して明確な答えを与える」という「問い―答え」構造を備えた論文の書き方です。もちろんこれが唯一の論文の書き方だというつもりはありません。それぞれの先生は自分のスタイルを持っておられますから、学生たちはそれらを手本に、「システマティックな思考法」を、卒論執筆を通じて身につけていくのです。

―どうやって「問い」を立てるのか、文学研究を例に教えてください。

たとえば源氏物語を卒論のテーマにした場合、「源氏物語の新しさとはなにか」という問いを立てることもできます。紫式部は、当時は男性のものとされていた漢籍に関する知識が豊富でした。それを源氏物語で日本語の文脈に置き換えたことによるニュアンスや発想の変化や斬新さについて研究し、論文にまとめるのも面白いかもしれません。

「対話」で学びを深める

―「文学を大学で学ぶこと」と「一人で本を読むこと」の違いを教えてください。

大学は、自分の考えを「対話」によって深め、洗練させるところです。対話には、先生や友人との議論はもちろん、これまでに蓄積された解説や批評、評論を読むことも含まれます。解説や批評、評論は作品の「読み方の提示」といえるもので、自分の読み方と重なることも、「こんな読み方が可能なのか」というある種の驚きを伴う経験をすることもあるでしょう。文学作品に限ったことではなく、漫画や映画、アニメの読解でも同じことが言えます。

京都大学文学部のゼミの様子

テキストの読み方に「正解」「不正解」はありません。ですが、深い読み方、浅い読み方というものは存在します。作品にまつわるさまざまな事情を知れば知るほど、自分の読みを深めていけるのが、大学における文学研究の醍醐味です。

文学部のゼミでは、作品にどういった価値観を見出すことができるのかを言葉で的確に表現することも重視されます。自分の考えを個人の頭の中に閉じず、論文などの言語的アウトプットとして表現することが重要なのです。

 

出口康夫(でぐち・やすお)

1962年大阪市生まれ。大阪府立茨木高校卒、京都大学文学部卒、同大学院博士課程修了。研究分野は、近現代西洋哲学、分析アジア哲学。近年は、「できなさ」に基づいた人間観・社会観として“Self-as-We”(われわれとしての自己)を提唱。著書に『京大哲学講義 AI親友論』(徳間書店)など。2024年4月より京都大学文学研究科長・文学部長。