国連機関で働く「国際公務員」の仕事は狭き門と思われがちだが、日本人が就職するための道は開かれている。途上国に開発支援目的の融資や技術協力などを行う「世界銀行」で働く徳田香子さんは、高校卒業まで海外生活や留学の経験がない「純ジャパ」だった。どのように目標の仕事に就けたのかを高校生記者たちが聞いた。

★国際公務員の仕事内容ややりがいを聞いた「前編」はこちら。

部活大好きなおてんば高校生

―国際機関で働くまでの歩みを教えてください。高校時代はどう過ごしていたのでしょうか。

勉強よりも部活に力を入れている、おてんばな高校生でした。中学時代はテニス部だったのですが、協調性を身につけたくて、高校ではバレーボール部に入りました。「どんな自分になりたいかを考えて、自分に足りないものを身につけられる環境に身を置いてみる」という考え方は、その後の進路選択においても役立ちました。

徳田香子さん

―大学進学にあたって重視したことを教えてください。

私はいろんなことに興味がありすぎて絞れなかったので、絞らなくてよい大学に行きたいと思いました。「国際的な環境で学べること」「複数の分野を横断的に学べること」といった点を重視し、自分がなんとか頑張れる受験科目と科目数であることも考慮して、慶応義塾大学総合政策学部を受験し、進学しました。

入学後に出会った人々は、複数言語を話せたり、スポーツ選手、音楽家、起業家として活躍していたりと、才能豊かな人ばかりでした。海外経験のない「純ジャパ」で、ごく普通の高校生活を送ってきた私は劣等感しか感じなかったのですが、そういう人たちと友達になったことで視野が広がりました。学生時代の友達は一生の財産になります。すべてが今につながっていると感じます。

開発経済学のほか、メディア論から宇宙法に至るまで幅広い分野を学ぶとともに、中国語の学習にも力を入れました。

大学卒業後は5年間会社員経験を積んだ

―大学卒業後は、まず民間企業に就職したのですね。

国際機関で働くには基本的に修士以上の学歴が必要となるのですが、「国際課題を解決するには民間企業の力を借りるための交渉力が必要」だと考え、大学卒業後にすぐに大学院に進まずに5年間、外資系ソフトウェア企業で法人営業を担当しました。

その後、東京大学の大学院に進み、「人間の安全保障」を専攻し、民間企業が世界の感染症対策にどう貢献しているかを研究しました。大学院の修士・博士課程で学びつつ、外務省の地球規模課題総括課の経済協力専門員として4年間、国連開発計画(UNDP)や国連人口基金(UNFPA)、世界銀行の基金などの業務を担当させていただいた後、イェール大学経営大学院に留学しました。今も仕事をしながら毎日のように世界銀行内部のセミナーに出て勉強しています。

国連職員に直接かけ合い夢つかむ

―国際公務員になるのは狭き門だと思います。どうやってチャンスをつかみましたか。

外務省が実施している日本人のための国際機関への派遣制度(JPO派遣制度)で入るのがスムーズなのですが、私はこの試験には2回失敗しました。それでも、国連で働く夢をあきらめきれなくて、外務省の仕事でやり取りをしていたニューヨークの国連本部のマネージャーに「インターンをさせていただけませんか?」と、恥を忍んでお願いしてみたんです。

すると、「明日にでも来てほしい」と言われ、国連本部でインターンをする道が開けました。その時、30歳を過ぎており、日本のインターンの年齢を考えるとかなり遅いほうで恥ずかしい気持ちもありましたが、結果的にその部署の公募で正規の国連職員として採用していただきました。UNDP駐日代表事務所、国連本部での勤務を経て、2020年から世界銀行で働いています。世界銀行には、日本人を積極的に採用するプログラムを利用し、ミッドキャリア(中途採用)で入りました。

過激派組織ボコ・ハラムから逃れた難民を受け入れるカメルーンの農村でヒアリング

―勇気を出したことで最初の一歩を踏み出し、それから多くの組織を経験してきたのですね。

国際機関では終身雇用の枠はごくわずかです。国連本部は最初、1カ月の契約で入りました。多くの場合、数カ月から数年単位での契約となります。世界銀行は2年間の契約で入り、「優しいほう」でした。

昇進も約束されておらず、自分でポジション(役職)を得ようとしなければ、契約期間が終わって「サヨナラ」です。自分の能力を必要としてくれる機関を渡り歩くことになるため、イメージとしては「野球選手」に近いかもしれません。「うちの組織に来てほしい」と言ってもらえるだけの専門性がなければ、働き続けられない厳しさがあります。

ラジオ英会話で英語力磨く

―国際機関で働くには「高度な英語力」が必要だと思います。高校時代まで留学経験がない中で、どのようにして力を身につけたのですか。

中学入学時からNHKラジオの「基礎英語」などの講座を聴き続け、高校入学後は授業の副教材の英字新聞を読むようにしました。高校の宿題を深く理解するまでやり、3年生の春に部活を引退してから大学受験の塾に通い、徹底的に勉強しました。学校の英語にもついていくのが難しかったため、どのような勉強をすれば良いかを学校や塾の先生に個別に聞きにも行きました。先生から勧められた東京大学1年生用の英語の教科書を読み、わからない単語は書き出して意味を確認していました。

―スピーキングの力はどう磨いたのでしょう。

大学在学中、アメリカに10カ月留学しました。リスニングやスピーキングは社会人になってからも勉強を続け、出勤前の毎朝30分間はオンラインでのマンツーマンレッスンを受けることを習慣にしました。

今でも海外ドラマを英語で見てわからないセリフを書き出したり、朝晩英語のラジオや世界銀行幹部のスピーチを聞いて、聞いた言葉をそのまま話してみる「シャドーイング」という練習をしたりといった学習を続けています。

「やりたい」と「できる」のギャップを埋める

―国際公務員を目指す高校生へのメッセージをお願いします。

自分の「やりたいこと」と「できること」のギャップを最短距離で埋められる方法を探してみることをおすすめします。

私の場合は「病気で苦しむ世界中の人々を助けたい」というのが「やりたいこと」だったのですが、自分が医師になって患者さんを助ける能力はないと思いました。「それなら他にどういう方法があるか」を考えたとき、国際機関に入って世界の人々の健康を守る仕組みを作ることならできると思えたので、その目標に到達できるように努力しました。(構成・安永美穂、写真・本人提供)

【取材後記】将来の道を考えるきっかけになった

緊張感のある仕事に驚き

世界を舞台に働く人の格好良さを感じました。終身雇用とは無縁の任期付き契約のため、スーツケース一つでいつでも異動や帰国をする覚悟で働かれていると知り、その緊張感に驚きました。私は日本の国家公務員を目指していますが、より広く人々に働きかけられる国際公務員に強い憧れを抱きました。(中川凜乃・2年)

目標達成の方法を考える大切さ学ぶ

徳田さんは目標に向かって何か行動をするとき、その目標がどれくらいの距離にあって、目標を達成するにはどのような方法が最短ルートかを考えて行動していたとおっしゃっていました。常に目標との距離を考えながら行動をすることが大切だと感じました。(長渡彩佳・2年)

自分の進路に自信がついた

自分の進路について改めて考えさせられるきっかけとなりました。私は日本史が好きなのですが、将来の職業があまり思いつかず……。日本史を大学で学んでも「就職しにくい」といううわさも耳にしたことから、少し不安でした。しかし徳田さんに「歴史は昔のことについて学んで未来に生かす学問。学んだことを将来にどうつなげていくかを自分で考えられたらいいね」と言っていただき、自信がつきました。(伊藤仁香・3年)

何事にもチャレンジする姿勢学べた

徳田さんは挫折の中でも夢を諦めずに立ち上がる精神力や、必要だと思う能力を身につけるには何をすべきかを考えすぐに行動に移す行動力を持っていました。海外留学前から現在に至るまで英語や他の言語の勉強している勤勉さが、現在の活躍に直結しているのだと感じます。今回の取材を通して、努力する姿勢や何事にもチャレンジする姿勢を学べました。(網倉瑞姫・3年)

世界銀行ミッドキャリア(中途採用)プログラム

世界銀行と日本政府の連携により2011年に始まった採用プログラム。勤務先はワシントン本部または途上国の世銀現地事務所で、募集するポジションの職務内容を公表し、ポジション毎に募集を行います。最初の2年間の勤務期間を日本政府が支援し、その後、勤務評価に基づき1年延長が可能です。その後、多くの方が正規職員として活躍しています。詳しくは、世界銀行ウェブサイト「主な採用プログラム」を参照。

とくだ・きょうこ

世界銀行 保健・栄養・人口グローバルプラクティス グローバル・エンゲージメント担当業務担当官。外資系ソフトウェア企業での法人営業職、外務省(地球規模課題総括課)、国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所、国連ニューヨーク本部人間の安全保障ユニットなどを経て現職。恵泉女学園中学高校、慶応義塾大学総合政策学部卒業。イェール大学経営大学院客員研究員。東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障プログラム」修士・博士(国際貢献)。