昨夏、文化部の全国大会「第46回全国高等学校総合文化祭(とうきょう総文2022)」の弁論部門に出場した大竹夏帆さん(福島・会津高校3年)。新型コロナの感染対策を採らない人を糾弾する「コロナ警察」をきっかけに、「正義感」について考えたことを発表。他者を傷つけず正義を伝える方法を模索した経験を話してもらった。(文・野口涼、写真・学校提供)

「コロナ警察」理解できるが度が過ぎてない?

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が発令された2020年。誰もが経験したことのない事態に不安を感じていたなか、マスクをつけていない人を罵倒したり、他県ナンバーの車を傷つけたりする、いわゆる「コロナ警察」の存在が話題になった。

高校では社会弁論部に所属している大竹さん。「今回の弁論も部活の仲間の前で練習しました」

「福島に住む私自身、他県ナンバーの車を目にして苦々しく思うこともあり、配慮が足りない人への憤り自体は理解できないわけではありませんでした」。そう話す大竹さんは、一方で“度が過ぎている”と感じたという。

正義を盾にした攻撃は正義から外れてる

大竹さん自身にも思い当たることがある。小学生の頃、セクシャルマイノリティーについて書かれた本を読んだ。「友だちの間で悪気なく口にしていた“オカマ”という言葉が差別用語であることを知り、ショックを受けました」。反省した大竹さんは正義感から、時には強い口調で「オカマ」を使う友だちをとがめたことも。

「コロナ警察」する人の根底にあるのも、たしかに正義感かもしれない。でも、正義感とは本来「他者や社会全体の幸せ」のためにあるもの。正義を盾にした他人への攻撃は、目的から外れた行為ではないか。大竹さんは今、そう考える。

「ツイッターなどのSNSを見ても、政治的な発言する大人たちの書き込みからは怒りしか伝わってきません。さまざまな立場の人がいることを前提に、自分の考えをもっと丁寧に伝えれば、建設的な議論ができるかもしれないのにと思うこともあります」

「正しさ」伝える難しさ痛感し

一方、高校生になった今、「自分が正しい」と思うことを身近な人に伝えるのは小学生の頃より難しくなったとも感じる。「差別や偏見につながる話では、その場の雰囲気に飲まれて笑ったりしないように心掛けていますが、そう簡単ではありません」

弁論後、他校の生徒が「自分も知らないうちに人を傷つけていたかもしれない。考えさせられた」と声を掛けてくれたという

あるとき、タレント・SHELLYさんの動画で「Woke」という言葉を知った。「悟る、目覚める」という意味をもつWokeは、アメリカでは差別・偏見などの社会問題に気づいている人のことを指す。SHELLYさんの「先に気づいちゃったWokeである私たちで、まだ寝ている人たちをどうやって上手にやさしく起こしてあげるか、っていうのを考えようよ」という言葉が大竹さんの心に響いた。

差別や偏見、気づいてない人を「優しく起こす」

他者や社会全体の幸せのために大切なのは、「寝ている人たちを攻撃することではなく、気がついてもらうこと」なのではないか。そう考えた大竹さんは、友達との間で同性愛者が笑いのネタになりそうなとき「同性愛者だとしてもいいんだけどね」と言ってみた。

友だちから返ってきたのは「そうだよね」という自然な返事だ。「同性愛に対する偏見をなくしたいという意識を共有できた、これからは一緒に問題を解決していけると感じ、とてもうれしかったです」

差別や偏見、「正義から外れていること」に気がついていない人たちをやさしく起こす―—そのためにできることをこれからも考えていきたいという大竹さん。「その一つとして弁論大会で発表できたことには、大きな意味がありました」