プロ野球・北海道日本ハムファイターズへの入団が決まった大谷翔平(岩手・花巻東3年)=岩手・水沢南中出身。高校野球史上最速の160㌔をマークした身長193㌢の大型右腕は、ドラフト会議前に米メジャーリーグへの挑戦を表明したが、最終的に選んだ道は日本プロ野球界での新たな挑戦だった。「今は、ほっとしています」と話す大谷が、高校3年間を振り返る。 (文・写真 東憲吾)

メジャーリーグか、それとも日本のプロ野球か……。連日のようにニュース番組で報道され、世間の注目を集めた日々を「一人になると考え込むことが多かった。授業中もまったく落ち着かなくて、先生の話にも集中できませんでした」と振り返る。そんな大谷を見たチームメートは、進路の話題には触れず普段通りに接してくれた。大谷は「それがうれしかったし、助かった」と話す。

最後は自分で決めた。「自分の進路ですし、誰かが決めるものでもない。後悔はしていません」

菊地雄星(埼玉西武ライオンズ・投手)に憧れて花巻東へ進学した。「プレースタイルや野球に取り組む姿勢、発言などに影響を受けた」と大谷は話す。炭酸飲料を飲まない、カップラーメンを食べないなどストイックな姿勢で知られた高校時代の菊地の姿勢を見習った。

野球漬けの日々。毎日黙々と練習し、背中でチームを引っ張り続けた。寮ではテレビをほとんど見ず、ゲームもしない。「はやりの音楽なんて、ほとんど知りません。野球のことばかり考えていました」

入学時に「163㌔の球を投げる」「チームで日本一になる」という目標を立て、自らを奮い立たせてきた。達成することは、かなわなかったが、昨年夏の甲子園岩手県予選では、高校野球史上最速の160㌔をマークすることができた。「少し高めに目標を設定したことが良かったのだと思います。周囲が無理だと言っても気にせず、自分の力を信じて投げ込んだ結果です」

最後の夏の甲子園に出場できなかったことには、悔いが残る。「東日本大震災で家族を亡くしたチームメートもいて、みんなで励まし合ってきただけに残念でした。それでも、最後は力を一つに合わせて戦えたので良かったかなと思います」

春からは、かつてダルビッシュ有(テキサス・レンジャーズ)が付けていた背番号「11」を背負い、プロのマウンドで勝負する。「まずは国内で結果を残し、将来はメジャーで長く活躍できる選手になります」