第66 回全日本バレーボール高校選手権(春高バレー)に4年ぶり8度目の出場を果たした夙川学院(兵庫)。昨年7月に急きょ主将に任命された高田真央=兵庫・北淡中出身=は「不安いっぱい」の状態から部員をまとめ、チームを夢舞台へと導いた。(文・写真 白井邦彦)

プレッシャーと不安

7月の近畿大会終了後、同学年の前主将が大学受験のために引退を表明。副主将の高田に白羽の矢が立った。「今まで自分のプレーに集中すればいいだけだった私が、チームをまとめられるか不安だった。正直、プレッシャーはあった」と当時を振り返る。

 

夏の全国高校総体(インターハイ)県予選をベスト8で終え、一時は引退も考えた。「絶対に春高へ行く。監督を連れていく」と決めて部に残ったエースにとって、周りに気を配らないといけない主将の役目は、重荷以外の何物でもなかった。

■誰もついてこなかった

小谷貢司監督(58)は「高田にはコートの中でチームを引っ張るキャプテンシーがある」と以前から感じていた。1年時から試合に出ていた高田の存在感はすでに絶大。唯一の気掛かりは「ミスしたら投げ出すような態度をたまにする。下級生が付いてくるかどうか」(小谷監督)だった。

 

監督の不安は的中した。高田は「最初の1カ月は、春高に出たいという自分の気持ちだけが強過ぎて、周りが付いてこなくて」悩んだ。小谷監督も「下級生との間に、温度差というか溝のようなものを感じた」と話す。

危機を感じた高田はそれ以来、周りのみんなの表情や態度などをよく観察するようになった。そして、主将として仲間に寄り添うことの大切さを、少しずつ分かり始めるようになる。

■歌でチームまとめ上げる

クラスメートの今後綾乃=兵庫・香住一中出身=は、普段の高田を「天然キャラで親しみやすい」と評す。

高田はこの「天然キャラ」らしい方法で部員に寄り添い、チームをまとめ始めるようになる。「表情を見たら、その子が悩んでいるかどうかが分かるようになった」高田は、悩んでいる部員に歌を歌って励ますようになったのだ。

ミスして落ち込む後輩に気付くと練習後に歩み寄り、部室までの帰り道に自分が好きなシンガーソングライター「ハジ→」の「証。」を歌って聴かせた。時には色紙に「つらいときも頑張ろう」といった内容の歌詞の一部を書いて贈った。

主将就任以降、誰よりも筋トレや持久走などの苦しい練習に率先して取り組んできた高田の歌は、仲間の心によく響いた。いつしか先輩後輩の隔たりは消え、チームは一つになっていた。

昨年11月の春高バレー兵庫県予選決勝。マッチポイントを迎えて放った高田のスパイクは、相手に一度レシーブされた。だが、そのボールは高田の前にフワッと戻ってくる。「ラッキーでした」と苦笑いするが、努力なき人に幸運は訪れない。春高へのスパイクをきっちり決めた高田。周りにはうれし泣きする仲間がいた。

春高では、初戦で由利(秋田)に1-2で敗れた。高田は「自分のミスが多く、悔いが残った」と悔しさをにじませた。「でも、主将になって良かったと思う」と最後は清々しい笑顔を見せた。

 

 監督より  気配り上手になった

小谷貢司監督

主将になってからは周りの選手に声を掛けたり、自分から声を出したりといった変化がありました。徐々にチームが同じ方向に向けたのも、彼女の気配りがあったからだと思います。

同級生より 

中北奈那(3年) 兵庫・けやき台中出身

見た目はいかついけれど、話すと子どもっぽく、女の子らしい。バレー以外の素顔がカワイイ。

古島明奈(3年) 同・香住一中出身

やや天然なところがある。最近までバウムクーヘンをバウムクイヘンだと思っていたり……(笑)。

今後綾乃(3年) 兵庫・けやき台中出身

セッターの私としては、少しトスが乱れてもカバーしてくれる心強いアタッカー。たまにピアノを弾いてくれる。ギャップがすごい(笑)。

 部員に聞いた 主将はどういう人? 

●悩んでいたら、すぐに声を掛けてくれる(2年)
●会話がズレる時もあるけれど、バレーではしっかり者です(2年)
●相談に乗ってくれる、いいお姉さん(2年)
●天然なところがいい。居るだけでその場が和む(2年)
●春高出場を決めた最後のスパイクはしびれました(2年)
●自主練習も積極的にやっていて、見習う部分も多い(2年)

チームデータ: 1957年創部。部員26人(3年4人、2年11 人、1年11人)。インターハイ出場8度。85 年に全国3位。2011 年近畿大会で優勝。

 

たかた・まお:  1996 年3月11日、兵庫県生まれ。夙川学院でバレーボールをするために淡路島の北淡中から進学。1年生から控えに名を連ね、インターハイにも出場。172㌢、61㌔。