バレーボールの全日本高校選手権(春高バレー)連覇を達成した就実高(岡山)。主将でエースとして活躍し、2年連続MVPを受賞した深澤めぐみ(3年)は、優勝からの1年、「勝たなければならない」という重圧と戦い続け、最後の春高で見事に有言実行して見せた。(文・田中夕子、写真・中村博之)
苦しいこと、いっぱいあった
第4セット24対20、あと1点を決めれば就実の連覇が決まる場面で、深澤の声が響いた。
「持って来い!」
セッターの岩本沙希(2年)は、迷わずレフトの深澤に上げ、クロスへ豪快にたたき込む。自らの右腕で25点目をもぎ取り、連覇を決めた深澤は連覇の喜びをかみしめ、涙を流した。
「この1年、本当に苦しいことがいっぱいありました。このメンバーで日本一になれて、本当にうれしく思います」
自分がなんとかしなきゃ…背負った重圧
2年生だった昨年の前回大会を制した時は、喜びの笑顔であふれていた。大会MVPも受賞し、最上級生で迎える今大会も多くの注目を集めたが、同時にプレッシャーも背負う。
「連覇のためにはどの試合も負けられない」と意気込むも、昨夏のインターハイは決勝で下北沢成徳(東京)に敗れた。もともと責任感が強く、「自分が何とかしなければならない」と自らを追い込む深澤が背負う重圧は、チームメイトにも伝わっていた、と深澤の対角に入る曽我紀美(3年)が言う。
「インターハイで負けて、国体はコロナの影響でなくなった。残された大会は春高しかなかったので、この大会では絶対に優勝しないといけない、というプレッシャーで、めぐみも(双子の妹の深澤)つぐみも、バレーボールを楽しめていないな、と感じる時期がありました」
自分も仲間も追い込んで、追い込んで
エースとして「もっと決定力を高めたい」と練習に励みながらも、なかなか殻が破れない。つぐみからも「まだ優しさが残っている」と指摘され、より一層自分にも仲間にも厳しく「勝つためにはここまで追い込まなければダメだ」と追い込んだ。
岡山県大会を勝ち上がり、春高本番に向けたカウントダウンが進む中、プレッシャーは増すばかりだったが、最終的にめぐみの背を押したのは、時に厳しく接してきた西原美希監督だった、と振り返る。
「美希さんから『今までのキャプテン、エースは苦しい中を乗り越えてきた。それが当たり前なんだよ』と言われて、そうか、自分だけじゃなくて当たり前なんだ、と思ったら少し自分も変わることができました。春高前に3年生へ向けて『あんたたちはセンターコートに立って終わらないといけんよ』と言われて、頑張ろう、と気合が入りました」
スパイクが爆発、一気に勢いに乗った
春高が始まってからも、勝ち上がるのに簡単な試合など1つもなかった。特にセンターコートへ立つ準決勝進出をかけた準々決勝の岡崎学園戦はフルセット、しかも最終セットはジュースの末に決着がつく大激闘だった。
ならばここからは楽しもう、とばかりに、苦しみ抜いてたどり着いた準決勝、1点目からめぐみのスパイクが爆発する。
「(試合の)出だしが大事なのはわかっていたので、思いきり打って、絶対に決めてやろうと思っていた」というスパイクから始まり、続いてサービスエース。一気に勢いをつかんで波に乗った就実は準決勝で金蘭会、決勝では途中で右太ももをつるアクシデントに見舞われながらも古川学園を下し、悲願の連覇を達成した。
世界でも通用する選手に
最高のフィナーレにうれし涙を流し、これからは別のステージでの戦いが始まる。めぐみはVリーグの久光スプリングス、妹のつぐみは東レアローズへ進み、これからは対戦相手となりコートを挟んでぶつかり合う。
「世界でも通用するような選手になりたいです」
深澤ツインズが次にチームメイトとして戦う場所は、日本代表しかない。いつか来るその日のために。新たな戦いが始まる。
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ふかさわ・めぐみ
2003年4月17日、長野県安曇野市生まれ。中学のバレーボール部の人数が少なくなり「もっと強い場所でやりたい」と妹のつぐみと共に就実中へ転入、就実中卒。U15日本代表にも選出された。176センチ。