春高に新星の誕生だ。バレーボールの全日本高校選手権初出場でベスト4と快進撃を遂げた日南振徳(宮崎)のエース、甲斐優斗(3年)。2メートルの高さを活かした攻撃力とブロックで強豪を次々打破。最初で最後の春高、センターコートは「楽しかった」と笑顔でプレーした。(文・田中夕子、写真・中村博之)

身長200センチのエース「自分がやってやる」

これが無観客開催ではなく、有観客開催だったなら、観客はどれだけ驚いただろう。それほど、甲斐の高さは圧倒的だった。2回戦では星城(愛知)、3回戦では駿台学園(東京)と春高で優勝経験を持つ強豪校を相次いで打破した。その原動力がエースの甲斐だった。

初出場でベスト4進出の立役者、日南振徳の甲斐優斗

「相手の上から打つことだけを考えていました。(連戦で)疲れはあったけれど、自分がやってやる、という気持ちで臨んでいました」

大型選手が多かった今大会の出場選手の中でも、甲斐は身長200センチ、最高到達点は342センチと抜群の高さを誇る。しかもただ高いだけでなく、高いうえに跳ぶ。対戦校の選手たちが「(ブロックで)触ることもできなかった」と苦笑いを浮かべるのも納得だ。

コロナ自粛で練習できず「寝てたら伸びた」

なぜ身長が高いだけでなく跳べるのか。ルーツをたどれば、甲斐はもともとアウトサイドヒッターの選手で、自分がレシーブをしてからジャンプしてスパイクを打つポジションだった。

試合を重ねるごとにエースとして進化を遂げた

もともと周りと比べれば「身長はいつも高いほうだった」と言うが、一気に伸びたのは高校に入ってから。入学した頃は185センチだったが、この2年間で「コロナの自粛期間は練習もできなくて、寝てばかりいたら伸びた」と言うように、一気に15センチ身長が伸び、ジャンプ力も20センチ以上アップした。

変則ポジション「前衛も後衛も楽しい」

甲斐自身は、高校でもアウトサイドヒッターとしてプレーしたいと臨んだ。だが、周りにサーブレシーブもできてスパイクを打てる選手がいたため、前衛では中央に入るミドルブロッカー、後衛でもリベロと代わらずレシーブやバックアタックに入るオポジットという変則ポジションだ。

2メートルの高さを生かし、甲斐の攻撃力がチームをけん引した

「前衛では相手の上から打てるし、バックアタックの時は相手ブロックに当てて吹っ飛ばすことができるので、どちらも楽しい」と笑顔をのぞかせる。

春高に出場する選手の多くは中学時代から注目され、各都道府県の選抜メンバーとして全国大会出場経験を持つ選手も多いが、甲斐にはその経験がない。だからこそさまざまなポジションや、体幹トレーニングに取り組ませてきたという鍋倉雄次郎監督は甲斐の現在地をこう見る。

「自分がどの位置にいるか、本人もわかっていません。この大会でも高さはトップクラスだと思いますけど、本人はそう思っていない。まだ高く上から打てると思っています。まだまだ伸びる選手なので、将来はアウトサイドヒッターとして日本を代表するような選手になってくれると期待していますよ」

強豪相手に「ずっと笑っていました」

準決勝は同じ九州の鎮西(熊本)と対戦。練習試合でも負け越しているという相手は甲斐への対策も万全で、試合序盤は立て続けに決まったスパイクも中盤以降はしっかり3枚揃ったブロックに止められた。だが、その状況でもコートで甲斐は笑っていた。

「止められたのは悔しかったですけど、鎮西のブロックは高くて強いので仕方ない。切り替えないといけないと思ったので、ずっと笑っていました」

初のセンターコート。甲斐は「楽しかった」と最後まで笑顔を見せた

初出場の春高で試合を重ねるごとに急成長を遂げた2メートル、甲斐の活躍はまだまだこれから。卒業後は兄もいる専修大学へ進み、さらなるレベルアップを誓うと共に描く夢も大きい。

「高校では日本一になれなかったので、大学は日本一になりたい。いつかは日本代表になって活躍できるように、練習して、これからもっと頑張りたいです」

春高から世界へ。活躍の日は、きっとそう遠くないはずだ。

かい・まさと

2003年9月25日、宮崎県延岡市生まれ。延岡南中卒。小2から父が監督を務めた延岡南バレーボールクラブでバレーボールを始めた。中学まではアウトサイドヒッターで、高校からミドルブロッカーに転校した。200㌢