読者の高校3年生の女子マスクさんは顔にコンプレックスがあり、写真を撮られることが怖いといいます。特に、友達に写真を許可なくSNSに投稿されることに不快感を感じているといいます。SNSの使い方や外見への評価について、感じていることを教えてもらいました。

自分の顔が嫌い 限界がきそう

私は、自分の顔が嫌いです。醜形恐怖症なのかどうかは、自分でもわかりません。

他人に話せるはずもなく、このコンプレックスを人に知られないようにするのに必死です。でもそろそろ限界がきそうです。

自分の顔が嫌い(写真はイメージ)

鏡は私を劣等感で一杯にする

昔は自分の顔は人より劣っているどころか、自信を持っていました。しかし高校生になって客観的に自分の顔を評価できるようになってからは、自分の顔が他人からどう見えているのか、そればかり気にしてしまいます。

本当は鏡なんて見たくありません。でも、どうしても見てしまいます。鏡は私を劣等感でいっぱいにします。

シャッター音が怖い 「いいね」は私の顔を評価しているよう

鏡よりもっと嫌いなのは、写真です。

写真は思い出を残したり、楽しい時間を振り返ったりすることができる、素敵なものです。しかし、私にとって自分の顔の写った写真は醜いものです。私に向けられるカメラレンズや、シャッター音に恐怖すら感じています。

それだけでなく、その写真を許可なくSNSにあげられることは、とても不快です。私の友人はカメラが好きで、よくSNSに写真を投稿します。でも、やめてと言えません。彼女達にとって写真は一種のコミュニケーションツールであることを知っています。

私はそれを否定したいわけではないのですが、「いいね」の数がまるで私の顔を評価しているように思えて、数の多い少ないに関わらず、怖さを感じます。

現在は顔を加工するアプリやプリクラなどの性能も上がっていますが、私はその加工された自分の顔も嫌いです。加工された顔と実際の顔を比べては惨めな気持ちになります。

カメラレンズやシャッター音が怖い(写真はイメージ)

そのSNS投稿は誰かを苦しめていない?

みなさんにも、いま一度考えてもらいたいです。あなたの言動が友達を苦しめているかもしれません。

そのSNS投稿は、みんなを幸せにしますか? 「かわいい」「かっこいい」などの容姿についての褒め言葉が、その人への凶器にもなり得ることを、あなたは知っていますか?

私はもっと醜形恐怖症について知ってほしいです。たしかに理解するのは難しいと思いますが、知って理解することで、人や自分に優しくなれると思うんです。(マスク=3年)