ファミリーマートの商品ブランド「お母さん食堂」。家庭料理をイメージした総菜をコンビニで手軽に購入できることで人気です。この「お母さん食堂」というネーミングが「母親=料理をする人」という固定観念や偏見を招くと、ある高校生たちがネーミングの変更を求めて署名活動を行いました。SNSを中心に賛否さまざまな意見が出て、大きな論争を巻き起こしました。同世代の高校生記者は、どのように感じたのでしょうか。意見をまとめました。
多様性を認めることへの関心が高まる世の中で、ファミリーマートが打ち出した「お母さん食堂」。コンビニで販売するオリジナルブランドの惣菜のコンセプトとして採用されたこのネーミングは、「料理=女性の仕事」という性差別を助長するのでしょうか?
高校生たちに意見を募ったところ、さまざまな声が集まりました。
性差別だとは思わない……肯定派の意見
はじめに、性別に関する言葉を、安易に性差別と結びつけることに慎重にならなければならないと考える高校生たちの意見を紹介します。「お母さん」と「食堂」の組み合わせを、本当にジェンダーの問題として扱うべきなのか、疑問を感じる意見が多いようでした。
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「女性」以外の意味合いに目を向けるべきでは
近年ジェンダー(社会的性差)についてさまざまな議論が交わされていますが、私は「お母さん食堂」に関しては、性差別か否かと議論する対象ではないと思います。なぜなら「お母さん」という言葉には温かく、懐かしさを覚える響きがあります。そのため、「社会人にも学生にも慣れ親しんで利用してほしい」という願いやコンセプトの元で開発されたものだと考えるからです。(のこ)
このネーミングにした意図が重要
商品名などがジェンダーについて固定観念を植え付けるという意見にも一理あると思います。しかし、ジェンダーについての知識が浅いからなのかもしれませんが、正直私はそこまで気にしていないです。人の価値観や考え方次第だと思います。(リスのしっぽ=1年)
コンセプトを伝えるのには適している
「お母さん食堂」は、ジェンダーについて固定観念を植えつけていないと思います。なぜならCMキャラクターに割烹着を着た男性を起用しているため、女性のみにお母さんを限定するような意図はないように思えるからです。コミカルに捉えられる様子にも話題性があり、いいと思います。
また、「お母さん食堂」というと、安心やヘルシーさなどを感じることができます。コンビニが若年層にとってはお母さんのような「温かい存在」、母親世代には「忙しい時でもお母さんとしての役割を果たす味方」として、「思い入れがあるコンビニ」というコンセプトができるので、利用者としても温かい気持ちになれそうです。特に後者は、働いているなどの理由で良い母親になれていないのではないかという不安を少しは払拭し、自己肯定感の向上につなげられると思うので、賛成です。(マリーナ=2年)
気にしすぎて息苦しくなるのも、問題
私は「お母さん食堂」について、商品名を変える必要はないと思います。現時点で、不適切だと感じている人や傷ついている人がいることは事実ですが、商品名を決める際に悪意があって決めたとは思えません。また、ジェンダーの問題を意識することも重要ですが、クリエイティブでユーモラスな思考も大切です。(りこぴん=2年)
「料理は女性の仕事」という先入観のあらわれ……否定派の意見
「お母さん食堂」という言葉を聞いて、「性差別と感じる人がいるのであれば使用を控えるべきでは」という意見や、「日本を代表するコンビニとして、社会から批判を受けない表現を心がけるべき」という意見も挙がりました。
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誰もが不快に感じない表現を
私は言われるまでは、普通に何も思わず受け止めていました。ですが、言われてみれば気づくこともありました。性差別的だとは思いませんでしたが、「お母さん食堂」が腑に落ちない人や性差別だと感じる人がいるのであれば、変えた方がいいと思います。差別につながらないようなネーミングを募集してみるのもひとつの手かなと思います。(ちーちゃん=3年)
多様性を認める世の中では「不適切」
私は「お母さん食堂」という名称に反対です。なぜかというと、ジェンダーによる差別の解消が現在世界の課題となっている中で、性別による家事負担を思わせる名称だからです。母親が必ずしも食事を作るとは限りません。私は「家族食堂」という名前に変更することを思いつきました。家族みんなで食事を囲む、家族が笑って食事をとるような、そんな名前にしたら素敵だなと感じました。(ゆきんこ=1年)
今の世の中に合ってない気が……
私の家庭では、母も料理をするのですが、父も料理が好きでよく作ってくれます。そんなことから、私は「料理=お母さん」というイメージがありませんでした。多様な世の中になった今、料理はお母さんだけの仕事ではないので、お母さんという名詞を使うのは今の世の中に合っていないと思います。(えびちゃん=2年)
社会を牽引する企業として、もっと配慮すべき
女性が家事をしている割合が圧倒的に多い日本。しかし、共働きとなるとバランスを取ることが難しくなるだろう。それに、男女平等といえども男女に対するイメージはあまり変わらないのが現状だ。
まずイメージから変えることが重要である。その上で、ファミリーマートのような大企業が先陣を切ってイメージの変革を実施することは極めて効果的であると考える。社会のイメージを変えるためにも、自社のイメージをアップさせるためにも「お母さん食堂」という名前を変えることは必要であると考える。(チュッパチャプス=2年)
世の中のいろいろな家庭のあり方に目を向けて
私は「お母さん食堂」は不適切だという意見に賛成です。なぜなら、シングルファザーや父親が家事をやっていたりする場合には、子どもにとって「親の作ってくれたご飯=お父さんの味」となると思うからです。私の家庭では、基本母が料理をしますが、父もたまに作ってくれます。それに「お母さん食堂」でなくても「懐かしの味食堂」や「家族のぬくもり食堂」など、母親に限定しなくても同じようなニュアンスを表現することはできると思うので、多くの人が疑問を持つのであれば改善した方がよいと思います。(sumomo=1年)
勇気をもって発言した高校生に寄り添いたい
「肯定・否定」という考えからいったん離れて、「自分と違う意見を持つ相手に対する攻撃的な発言」が多くみられた今回の論争のあり方に違和感を覚えた高校生もいました。
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まずは勇気ある行動に寄り添うことが必要なのでは?
私はファミリーマートの「お母さん食堂」について何の疑問も持ちませんでしたが、それくらい社会が「お母さん=料理を作る存在」として認識されているのだと思いました。これからの未来の男性女性がどちらも平等に働きやすい環境を作るためには、そのような認識がなくなるべきだと思いました。同時に、勇気を持って発言した高校生に寄り添える社会になるべきだとも思いました。(はなとぅぶ=3年)
否定・肯定だけでなく本質を捉えねば
料理を「お母さん」が作るのは昭和の価値観である、だから「お母さん食堂」のブランド名は不適切だ、この論理は短絡的であると思います。昭和のイメージと共にある「お母さん」の料理の味に刻み込まれた郷愁を無視しているからです。
反対に、「おふくろの味」という言葉があるから「お母さん食堂」を肯定してよい……これにも同等のことが当てはまります。
「否定・肯定」を判断することを最優先にするあまり、本質を考えることを損なってはいないでしょうか。(るんるん=1年)
意見が違う人への辛らつな批判に心が痛い
発端となった署名活動は、ネットを中心に炎上騒ぎになりました。賛否双方で意見の応酬があり、時には強い言葉で糾弾するような声も目立ちました。
最後に、「自分とは違う意見」との向き合い方、「多様な意見を認める難しさ」について思いをめぐらせたという高校生記者のコラムを紹介します。
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批判や否定の応酬ではなく、健全な議論が交わされるべき
今回の論争を見て心が痛んだことが一つあります。それは、ネット上における批判の応酬です。誰かが自分の意見を発信したら、別の人が心ない言葉で反論する。こうしたことが繰り返されている現状に、目を背けてはならないのではと感じました。
今回の署名を提唱したのは女子高生とのことですが、勇気をふり絞らなければ行動は起こせません。社会に対して問題提起をしたことに、同じ高校生として敬意を表したく思います。その行動に対する批判の中にはトゲトゲした言葉が多くあり、とても見ていられませんでした。
「多様な価値観を認め合おう」というフレーズをよく耳にしますが、それを実践することの難しさを今回の論争を通して認識しました。昨年は、ネット上での誹謗中傷が悲惨な事件を引き起こしました。心ない批判が何人もの人の心に傷をつけました。
批判することは簡単ですが、大切なのは「相手の考え方を全否定しないこと」ではないでしょうか。自分の考えを主張したい、相手の考えは間違っているんだから指摘したい。その気持ちは分かります。しかし、言い方があると思います。「相手の考えのAの部分は分かるけど、Bの部分は少し私とは違うかな」などと、相手の考えと自分の考えとの妥協点を探せば、批判される側の傷も少し和らぐのではないかなと思います。現在、自分の意見を気軽に発信できる時代になりました。気軽に発言できる分、他人を傷つけるリスクも高まっています。
今回は商品ブランドのネーミングに対する論争でしたが、世の中にはまだまだジェンダーの固定観念を意識させるような商品やネーミングがあるでしょう。世の中にはさまざまな価値観を持った人がいるので、どんなことに対して不快感を抱くかも、人によって異なります。私は、今も放送されている、あるカップ麺のCMの描写に不快感を抱いています。私の「妥協点を探してから批判する」という考え方にも批判がありうるでしょう。批判して、別の人も同調して炎上する。そして、誰かが心に傷を負う。そんな負の連鎖の中で幸せになる人は誰もいないでしょう。
今回の論争は、世の中の多様な価値観に気づくいい機会であり、ネットでの言動を見直す機会、企業側が消費者の思いを汲み取る機会にもなったと思います。今後はネットでの誹謗中傷や炎上が減ることを祈ります。(かんちゃん=3年)