秋吉陽向君(島根・益田東高校3年)は1年生の頃、学校に行けない日々を送っていた。ゲーム漬けの毎日から彼を救ったのは、ハンセン病回復者との対話だった。学校に再び通えるようになり、成長した彼の姿を紹介する。(中田宗孝、写真は本人提供)

不登校でゲームに没頭し続け「堕落していた」

「このまま学校に行くことはないだろうな」

秋吉陽向君(島根・益田東高校3年)は、別の高校に通っていた1年生の時に不登校になった。授業の予習・復習や課題に追われて、心をすり減らした結果だった。

秋吉陽向君

「頑張っても周りとの学力の差は開くばかり。当時の高校の先生からも落ち込んだ成績をとげとげしい言葉で非難されて……。もう毎日、学校に行くのが苦しくなっていたんです」

家でゲームに没頭する毎日を過ごしていたという。「暇になった時間をつぶすためにゲームをする堕落した生活」と、当時の自分を振り返る。

ゲーム漬けの毎日を送っていた(写真はイメージ)

母に勧められハンセン病療養所を訪問

ある日、教師をしながら人権問題にかかわる活動をする母親から「ハンセン病回復者の方と、話をしてみない?」と誘われた。

高1の冬、母親と一緒に県外のハンセン病療養所を訪問。面会したハンセン病回復者からつぶさに語られる「死んでもなお差別される」「死んで煙になって、初めて地元に帰ることができる」といった言葉が秋吉君の胸に迫った。

ハンセン病は感染力が弱いとわかり、治療法も確立されたにもかかわらず、今もなお差別が続く現実を知った。

「自分の家に帰ることを、(当たり前なこととして)僕は深く考えもしなかったんです。強制隔離で家族と離れなければならなかったハンセン病回復者の方のお話はとても重く感じました。ハンセン病で差別を受けている現状も知りませんでした……」

自分がばからしく思えて

ハンセン病回復者、ハンセン病への理解を広める運動をする人々との交流を経て、秋吉君自らも突き動かされた。「学校に行かずうだうだする自分がばからしく思えてきたんです。何かをしなくちゃ、前に進まなくちゃという気持ちになりました」

転校先では温かく迎えてくれた(写真はイメージ)

進級のタイミングで現在通う益田東高校に転校した。不登校だった自分が新しい学校になじめるのか不安が募ったが、「自己紹介が終わって席に座ると、クラスメートたちが僕の周りに集まってきてフレンドリーに話し掛けてくれたんです。温かく迎えてくれて、僕はすごく救われたし『ここにいてもいいんだ』と思えました」

弁論の全国大会で思い伝える

不登校から再起までの体験を高2のときの「校内弁論大会」で発表して最優秀賞を受賞。3年生となり、文化部の全国大会「全国高校総合文化祭(2020こうち総文、今年はオンライン開催)」の「弁論」部門に出場を果たした。「少し前に進めた自分の姿を母に見せられたかな」と微笑む。

秋吉君は弁論原稿のタイトルを「陽の差す方に向かって」と付けた。自分の名前を入れて「前を向いて進み、常に挑戦し続ける」という強い決意を込めた。

弁論の中で「無知とは、こんなにも恥ずべきものだったのか」と語気を強めて語った。「ハンセン病への理解が足りなかった自分を恥じて叱咤する一文なので、スピーチでは後悔や怒りの感情を込めて話しました」

助言してくれた教師の母と同じ道目指す

将来は母親と同じ教師の道を目指すという。「不登校の僕を一番近くで見守っていてくれたのは母です。親の目線、教師の目線から心のこもった助言をくれる母を尊敬しています」

秋吉君と母

現在は、自らが見聞きしたハンセン病の正しい知識を、近しい友人たちに伝える地道な活動も続けている。