市船橋(千葉)サッカー部は、インターハイ(全国高校総体)で歴代最多9度の優勝を誇る強豪だ。4年ぶりの全国制覇という目標は、新型コロナウイルスの影響による史上初の大会中止によって打ち砕かれた。それでも石田侑資(3年)主将のもと、次なる目標に向かってチームは歩みを止めない。(小野哲史、写真は学校提供)

一人で壁に向かってボールを蹴る日々

―4月上旬からの緊急事態宣言期間中は、どのように過ごしてきましたか?また、現在はどのように活動できていますか?

自粛期間中は、学校の授業もなくなり、部としての活動もできなくなってしまいました。フィジカルメニューを中心とした自主練、オンラインでの筋力トレーニングや体幹トレーニング、リモートによるミーティング、試合分析、動画作成などの活動を行っていました。

主将の石田侑資

僕自身の自主練は、自宅のそばで走り込みや坂道ダッシュ、1人で壁に向かってボールを蹴ったりしつつ、たまに仲間と少人数でボール回しなどをやりました。

緊急事態宣言解除後は、まず全体を約20人ずつ4グループに分けて、1時間半のトレーニングを週3回行うことから始めました。そこから段階的にトレーニングの頻度や人数、強度を上げていきました。

現在(7月の取材時)は感染対策を十分に行いながら、通常時に近いかたちの活動を行っています。

マスクをしてストレッチ

インハイ中止、ショックだけど……

―インターハイの中止が決まったことを部員たちはどのように受け止めましたか?

部員の大半がショックを受けていました。インターハイが中止になり、目標に掲げていた「3冠」に挑戦できないのかと……。

モチベーションが下がってしまったように見える部員もいなかったわけではありません。僕もショックな気持ちはありました。ただ、他の競技で中止になっている状況から覚悟ができていた面もあり、「次につなげよう」という意識の方が強かったです。

そうしたなか、インターハイの中止が発表された3日後に選手ミーティングを行いました。「中止をしっかりと受け止めて選手権(全国高校サッカー選手権大会)で絶対に日本一を取ろう!」という言葉が飛び交っていました。

目標にしている数年前の代のチームの映像をみんなで見返して、また頑張ろうという雰囲気になっていけたような気がします。

―練習がままならなくなった状況で、主将として、どのように部員たちを支え、まとめようとしましたか?

いろいろな仲間と話をして想いを伝え合っていることです。みんなと話して気持ちを共有することで一人ひとりが同じ方向や目標に向けてやっていけると思うからです。プレーの面ではチーム内で誰よりも戦い、声を出すことを意識しています。

誰よりも声を出す

ストレッチはマスク着用、ボールも消毒

―新型コロナウイルスの流行前と後で、部活動の練習はどのように変わりましたか?

流行前は当たり前のようにサッカーができていましたが、流行後はさまざまな制限があり、自粛明けからしばらくは、対人のトレーニングができませんでした。

新たな取り組みとしては、全員が毎日、朝と夜に体温を測り、それをフィジカルトレーナーが管理しています。筋トレなどではマスクと手袋を着用し、終わったら必ず消毒や水拭きをします。

2人ペアで行うストレッチでもマスクを着用し、練習後はボールやコーンなどの用具を消毒します。日常的なマスクの着用や手洗いの徹底も含めて、今までは行っていなかったことが徹底され、習慣化されています。

感染対策を万全にして練習

みんなでプレーできる楽しさ感じて

―この経験によって自身が意識の面で変わったことはありますか?

サッカーをできるということが当たり前になっていました。ですが、それは「当たり前ではない」ということを感じて、改めてサッカーと向き合うことができました。

今まで以上に一日一日を過ごしていかないといけないと思うようになったことは成長できたと感じています。自粛明けにみんなでプレーできたときは、本当に楽しかったです。

―今後の目標を聞かせてください。

「全国高校サッカー選手権大会 優勝」です。

選手権で日本一を獲って、「イチフナ」の名をまた全国にとどろかせたいです。この目標に向けて、「チーム全員の力」で「本気」でサッカーに向き合い、またサッカーができる喜びと感謝の気持ちを持ちながら頑張っていきたいです。

みんなでプレーする楽しさを実感した

チームデータ

1957年創部。部員89人(3年生28人、2年生29人、1年生32人)。全国高校選手権優勝5回、インターハイ優勝9回、全日本ユース(U-18)選手権優勝1回。部訓は「和以征技」。著名な卒業生は杉岡大暉(鹿島アントラーズ)。練習は週6回、16:30~18:30。法典公園グラスポ、高瀬下水処理場上部運動広場などで練習。