高校生記者のぼるけーのさんは、中学時代にバレーボール部に入り、自分の声が聴き取りづらいことを初めて自覚したそうです。舌の構造の問題で声が出しにくいと後でわかりますが、当時は周りから「やる気がない」と思われ、辛い日々を過ごしていました。コンプレックスを乗り越えるまでを振り返ってもらいました。

「声を出せ」いつも怒られるのは私だけ

「私の声って、みんなに聞こえづらいんだ……」。自分のコンプレックスに気づいたのは、中学1年生の時だった。

バレーボール部に入ってコンプレックスを自覚した

中学生になって、先輩が優しいという理由でバレーボール部に入った。バレーボールなんてやったこともなかったけど、真剣に打ち込めるものができて楽しかった。できなかったことができるようになるのがうれしかった。

ただ、1つだけ疑問に思うことがあった。「なんでみんなと同じくらい頑張って声を出しているのに『私だけ声を出せ』と怒られるんだろう」「出しているはずなのに、声が小さいと言われるんだろう」。いつもいつも、怒られるのは私だけだった。

声がこもっている…ショックだった

これは絶対何かがおかしい。不満が募っていた私は、中学1年生が終わる頃、母に相談することにした。すると、思ってもいなかったことを言われた。

「声がこもっているから、出しているつもりでも聞こえづらいんだよ」

ショックだった。自分の声は他人にそんな風に聞こえてたんだ。確かに、思い返してみれば、母と話している時も聞き返されることが多かったかもしれない。

バレーボール部に入るまで、自分の声のことなんて意識したことがなかった。日常生活にはそこまで支障がないし、滑舌も悪くない。けれど、周りと少し違うこと、声をたくさん使う部活では不利だということに気付いてしまって、悲しかった。頑張っても声が届かない。自分はバレーボールが大好きなのに、やる気がないと思われるのが本当に辛かった。

バレーボールが大好きだから、その分つらかった

それから、声のことで怒られる度に、悲しさとどうすることも出来ない怒りとで、複雑な気持ちになった。辛くて、練習の後はほぼ家で泣いていた。我慢出来ずに練習中に泣いてしまうこともあった。周りに迷惑をかけている自分が嫌になった。「神様はどうしてこんなコンプレックスを、私に与えたんだろう」。神様と自分を恨んだ。

痛みを伴う手術を決断、リハビリし克服

しかし、中学3年生の冬、転機が訪れた。母から、舌小帯手術の存在を知らされたのだ。舌小帯というのは、舌の裏側に付いているヒダのこと。私はこのヒダが人よりも舌の先端まで付いていて、舌が動かしにくい状態だった。そのヒダを切る事で、舌を自由に動かせるようになり、もしかしたら声がこもるのを改善出来るかもしれなかった。

私は、わらにもすがる思いで手術をすることを決意した。

手術は、麻酔をしているとはいえ、痛みを伴うものだった。何よりも手術後の痛みは未だに覚えているくらい痛かった。だけど、私の心はスッキリしていた。生まれ変わった気分だった。

リハビリに励み、部活に復帰した。最初のうちはあまり効果を実感できなかったけれど、徐々に怒られることがなくなっていった。

私の学校は中高一貫校だったので、もちろん高校生になってもバレーボールを続けた。高校生になってすぐ、先輩に「今までに比べてすごい声が出るようになったね、感動した!」と褒められた。本当にうれしかった。あの時勇気を出したことが報われたのだ。

体や心と向き合う機会になったと、今は思える

コンプレックスはどんな人間にもあると思う。コンプレックスがあるせいで損をしたり苦しんだり、辛い思いをする事だって絶対ある。ただ、コンプレックスから学べることもあったような気がする。

自分の体や、心と向き合う機会をもらえた。今だから思えることだけど。これからどんな辛いことがあってもあの辛い日々を思い出したら乗り越えられるような気がするのだ。もしかしたら神様は、私に人と違う経験をさせたかったのかもしれない。だったらコンプレックスに負けない強い人間になってみせようじゃないか!(高校生記者=ぼるけーの)