東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊から30年―。1989年11月9日、東欧諸国で急速に拡大した民主化のうねりを背景に東ドイツ当局が検問所を開放、往来が自由化され東西ドイツを分断していた壁が崩壊した。翌90年、東西ドイツが統一されて41年間の分断の歴史に終止符を打ち、91年にはソ連(現ロシア)が消滅し独立国家共同体(CIS)が創設された。ベルリンの壁崩壊は現代史上の大きな転換点となった。

自国民流出を防ぐ

ドイツは第2次世界大戦で敗戦、ソ連が東側、米英仏が西側を占領しベルリンも東西に分断された。独裁政権下の東ドイツでは49~61年に人口の約15%にあたる約270万人が西側に流出、自国民の流出を防ぐため東ドイツ政権は61年に壁を建設した。

高さ約3.6メートルのコンクリート製の壁が全長155キロにわたって西ベルリンを取り囲むように造られた。二重の壁の間には監視塔が建てられ、東ドイツの国境警備隊が巡回。89年の崩壊まで西側に脱出しようとした市民ら約140人が命を落とした。

 

経済と社会に分断

東西統一を果たしたドイツだが、30年後の今〝新たな分断〟が生じている。旧東側と西側の経済格差は大きく、脆弱な東側の経済は西側にのみ込まれ、企業閉鎖などで失業者が増加しているためだ。

難民受け入れを表明したメルケル政権下で100万人以上が流入。社会不安をあおる右派や愛国団体が台頭し、異民族排斥を唱え勢力を拡大している。30年記念式典でシュタインマイヤー大統領は「目には見えない壁」に警告を発した。