高校卒業後の進路を考えるために、国際協力の現場を見てみたい。そんな思いで昨年5月、一人で世界一周の旅に出た吉野裕斗君(愛知・名古屋大学教育学部附属高校3年)が今年2月に帰国した。4月の高校復帰を前に、アジア、アフリカ、南米、北米の計29カ国を回った経験を同世代に伝える活動を始めた。
【吉野君の出発前の記事】
「国際協力の現場」を見に世界一周へ 吉野裕斗君
支援金135万円集め8カ月で29カ国回った
「世界一周に挑戦しよう」と思い立ったのは、2014年の秋。出発前の取材には「将来、国際協力に携わりたいが、いろいろな仕事があり、目指すものによって進学先も変わる。ニーズがある仕事を自分で確かめた上で進路を選びたい」と話していた。
企業経営者の集まりなどを回り、旅に必要な135万円を支援してもらい、昨年5月24日に出発。8カ月あまりかけ飛行機、鉄道、バスを乗り継ぎ、アジア、アフリカ、南米、北米の29カ国を回った。
各地のスラムや孤児院も見て回った。フィリピンでは、路上で生活する親が食事代わりに与えたシンナーを吸う子どもを見た。孤児院をつくっても、子どもたちが入りたがらないとも知った。仲良くなった子どもにサンダルをあげて喜んでもらえたと思ったが、1週間後に会うと「もっと買って」と必死でせがまれ、「依存心を持たせてしまった。これからも観光客にせがむようになるのかも」と後悔した。
カンボジアではNPOかものはしプロジェクトが現地に雇用を生む様子も見学した。アフリカでは日本人の起業家の活躍に刺激を受けた。国際協力機構(JICA)の各国の事務所も訪ね、支援が日本企業の利益にもなっている例を知った。
「無償の支援は麻薬」ビジネスで雇用を生みたい
しかし、「良くない支援」もあった。ルワンダの工場では、NGOの支援で輸入されたキノコの栽培装置があったが、現地の人が装置の管理や修理をできるようになっておらず、キノコを食べる文化も根付いていなかった。「支援は、過程も事後のフォローも大切。利益が必要なビジネスなら、もっとしっかりできたのでは」と思った。地震の被害に遭った国では、現地の大工から「ボランティアのせいで僕らの仕事が無くなった」と聞かされた。「無償の支援は麻薬だ」と思った。
もちろん、災害時など無償支援が必要なときもあるが、「自分はビジネスによって、現地に雇用を生み、経済を活性化する支援がしたい」と気付いた。高校卒業直後に再び、アフリカに渡り、ビジネスに携わりたい気持ちが強まった。
毎日のブログの更新、訪問の約束の取り付けやお礼のメール、バスの予約などパソコンを開いての「デスクワーク」も多かった。食事は自炊。ツイッターで同級生の学校行事の様子が目に入り、寂しくなって泣いたこともある。
「フリーハグ」のボードを持ったら行列が…
一方で、現地の友達もたくさんできた。学校を多く訪ね、日本語の授業をさせてもらったり、同世代と話したりした。街中で「フリーハグ」のボードを持って立つと、多くの人が話し掛けてくれた。吉野君と握手をしたい人の行列ができたこともあったという。
安全対策には気を配り、危険な目に遭うことはなかった。「現地の人に助けられたことは多いが、良くない人もいる。見極めが必要です」
日本の高校生は国内の競争だけ…「世界をなめてはいけない」
旅を通じて日本人としての自覚がより強まったが、「世界をなめてはいけない」とも感じた。アフリカでは「日本って中国のどこにあるの?」と聞かれた。日本製品は見かけなかった。アフリカの同世代は日本の高校生より英語力があった。「ほかの国の人は世界を意識しているのに、日本の高校生は国内の競争だけ…」。危機感を持った。
2月12日に帰国。「やり切った」と思えた。高校復帰を前に支援者にお礼に回り、名古屋、大阪、東京などで報告会を開き、高校生らに経験を伝えた。「世界は面白いと伝えたい」。今後、高校や小学校での講演も予定している。「英語が得意でない僕でも世界一周ができた。みんなも、留学でも、部活と勉強の両立でも、やりたいことをできるはず。ドキドキ、ワクワクしながら夢を叫べるようになってほしい」。旅の様子はブログ「高校生単独世界一周バックパッカー」で公開している。(西健太郎)