後藤翔太郎(三重・四日市工3年) インターハイテニス男子V2 来春プロ転向

インターハイのテニス男子シングルスで2連覇を果たした後藤翔太郎(三重・四日市工3年)=三重・西朝明中出身。中学年代の海外留学が盛んなテニス界にあって、四日市で生まれ育った後藤は国内で腕を磨き、世界へ大きく羽ばたこうとしている。 (文・写真 白井邦彦)

後藤は昨夏のインターハイでシングルス、ダブルス、団体で3冠を達成したが、「今年のシングルスを連覇した方がうれしかった」と言い切った。徳丸真史監督(34)は「昨年は不参加の強い選手がいたけれど、今年は違う。本当の意味での全国制覇を実感しているのでは」と話す。

後藤にとって、この連覇にはもう一つ大きな意味があった。「大学進学か、プロへ進むか、すごく悩んでいました。今年のインターハイで連覇できれば、プロへ進もうと決めて大会に挑んだ」(後藤)。決勝が終わって、プロになると決めた。

プロを意識したきっかけは、昨年9月の全米オープンジュニアだった。「国際大会に出るのも、外国人プレーヤーとの対戦も初めて。パワーの差を感じたけれど、ストロークは通用するなという感触がありました」。翌月、プロへの登竜門といえる世界スーパージュニアテニス選手権(大阪)で当時のジュニア世界ランク1位の選手と対戦し、敗れたものの「自分の課題がサーブとレシーブにある」と確信した。その冬は肉体改造に励み、山の坂道を何度も登って足腰を鍛え直した。

今年9月、後藤はインターハイ連覇の余韻に浸る間もなく自身2度目の全米オープンジュニアに挑んだ。悲願の予選通過を果たし、本戦2回戦まで駒を進めた後藤は「冬場のトレーニングのおかげで、相手の速いショットに付いていけた。ボールに力が伝わるようになり、フォアも強くなったと思う」と自信を深めた。

将来、五輪やテニス四大大会で活躍することを誓う後藤。最後にこう言い残して、また練習コートに戻っていった。「卒業後は錦織圭選手と同じプロの土俵に立つ。すごいなぁではなく、これからは倒すつもりで戦う」。視線はすでに世界へ向いていた。

 
【ごとう・しょうたろう】
1994 年8 月4日、三重県生まれ。左利き。小学2年からテニスを始め、小学5年から四日市工主催のテニススクールに通う。U-13(13 歳以下)の全国大会でベスト8、全国中学生大会で3 位。インターハイは高校1年でシングルスと団体で準優勝、昨年は3冠を達成。今夏のシングルスでは連覇を果たし、来春からプロに転向する。175㌢、68㌔。